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「第22回日本映画プロフェッショナル大賞」授賞式レポート

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「第22回日本映画プロフェッショナル大賞」授賞式レポート

2013年07月04日
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左から大高宏雄日プロ大賞実行委員長、鈴木伸英さん、杉野希妃さん、入江悠監督
前田敦子さん、井浦新さん、村上淳さん、華子さん

 「第22回日本映画プロフェッショナル大賞」(略称:日プロ大賞/主催:日プロ大賞実行委員会/協力:文化通信社)の授賞式&オールナイト上映会が6月15日(土)東京・テアトル新宿で行われました。

 授賞式には、井浦新さん(主演男優賞/監督賞・故若松考二監督の代理)、入江悠監督(作品賞)、杉野希妃さん(新進プロデューサー賞)、鈴木伸英さん(特別賞・銀座シネパトス)、華子さん(特別賞・大谷直子さんの代理)、前田敦子さん(主演女優賞)、村上淳さん(新人監督賞・三宅唱監督の代理)が出席し(※五十音順)、それぞれ受賞の喜びを語りました。途中、作品賞を受賞した映画『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』のキャストが乱入しラップを繰り広げ授賞式を大いに盛り上げました。

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映画『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』のキャストが乱入
映画さながらのラップを繰り広げ大いに盛り上げてくれました

 オールナイト上映会では『おだやかな日常』(新進プロデューサー賞受賞作/ベストテン第4位)、『Playback』(新人監督賞受賞作/監督・三宅唱/主演・村上淳)、『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』(作品賞受賞作/ベストテン第1位)、MUSIC ON!TVシーズン・グリーティングIDシリーズ『秋の日のタマ子』『冬の日のタマ子』『春の日のタマ子(2タイプ)』(主演女優賞受賞・前田敦子主演作) が上映されました。

 以下では、授賞式で登壇された受賞者各氏の挨拶を登壇順に紹介します。

●新人監督賞 三宅唱(代理出席:村上淳)
 『Playback』

 映画『Playback』で新人監督賞を受賞された三宅唱監督ですが都合により欠席のため、同映画で主演を務めた俳優、村上淳さんが代理で出席し、三宅監督から預かった手紙を代読しました。

22nd_nichipro_3.jpg村上淳(以下、村上)本日、受賞した三宅唱の代理で来ました村上淳と申します。よろしくお願いします。監督本人からの言葉で、手紙を読みます。

 「日本映画プロフェッショナル大賞」選考委員の皆さま、ならびに昨年11月の公開以降、これまで全国の劇場で『Playback』を観て下さった多くの皆さまに心から感謝します。ありがとうございます。「プロフェッショナル」という言葉からすぐにイメージしたのが、近所の八百屋のおじさんや、寿司職人さんです。『Playback』を撮影している最中、村上淳さんから「映画は生き物だね」という言葉をかけてもらいました。「映画は生き物である」というその言葉を役者たちやスタッフの姿、映画の周りで働く方々の姿を見ては、何度も思い出し噛みしめています。どうやら八百屋さんと映画屋は共通する心を持っていそうです。つまり、プロとは、生きているモノ、生のモノをどれだけ丁寧に扱えるのか、ということなのかもしれません。今後も素晴らしい役者たち、スタッフたちと一緒に、活きのいい映画、いつまでもフレッシュなままであるような映画を作り続けられるよう精進したいと思います。ご来場の皆さま、オールナイト上映はまさに生の映画体験です。ぜひ最後までごゆっくりお楽しみ下さい。ありがとうございました。三宅唱。

総合司会・伊藤さとり(以下、伊藤)今日これから皆さんにも映画を見て頂くわけですが…
村上 ありがとうございます。
伊藤 非常に質感というか…
村上 フィルムで上映するんですか?
劇場関係者 フィルムです。
村上 やったね!
伊藤 まさにフィルムで観て頂くのに相応しい作品だと思うのですが、村上淳さんは三宅監督のどんなところに監督としての手腕を感じられたのですか?
村上(三宅監督の前作)『やくたたず』(2010年)を観た時に、監督の撮りたいものが的確に撮られていて、もの凄い衝撃を受けました。ホンも狭い範囲の話なのですが、ロケ地が北海道ということもあって、景色も広いのでどう撮ってんだろう、どういう意思疎通があって、どういう演出があってこうなるんだろうと思って観ていたら、最後に〈脚本・監督・撮影・編集 三宅唱〉って出てきて。凄い人が出てきたなと。自主映画では全部やれるのは珍しくないんですけど、特に感じるものがあったというのを覚えています。
司会・大高宏雄(日プロ大賞実行委員長以下、大高)最近、俳優さんが企画したり、俳優さんの事務所が(企画したりする映画が)結構増えているように思います。これは日本映画の新しい流れのような気がするのですが(※『Playback』は村上淳さんが所属する事務所「ディケイド」が製作にクレジットされている)。
村上 今後も起きていって欲しいですし、そういう映画があっていいんじゃないかと思います。いろんな作られ方があっていいんじゃないかと。
大高 この映画の中で、村上さんも素晴らしい演技をしているんだけど、渋川(清彦)さん…。
村上 はい、キーくん。
大高 渋川さんは、村上さんにあの役をやれって言ったような、そんな印象さえ受けるくらい、素晴らしいシーンがいっぱいあるんですよね、渋川さん絡みで。『Playback』の記憶というのは、渋川さんなんじゃないかと思うくらいなんです。
村上 それは監督も喜ぶと思いますよ。渋川清彦にも伝えておきます。

●新進プロデューサー賞 杉野希妃
 『おだやかな日常』

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杉野希妃(以下、杉野)この賞(※新進プロデューサー賞)は、今回から特設された賞だと伺いました。本当にこのような素晴らしい賞を頂けることを光栄に思っております。『おだやかな日常』という作品は、本当にみんなで苦労して作った作品ですので、私だけが個人賞を頂くのは心苦しい気がするのですが、この賞を持ち帰ってみんなで喜びを分かち合いたいと思います。本当に優秀なキャスト、スタッフの皆さんに感謝の気持ちを捧げると共に、今日これから上映がありますので楽しんで頂けたらと思います。ありがとうございました。
大高 この映画は東日本大震災から始まります。杉野さんがこの映画を作ろうと思った1番の動機はなんですか?
杉野 震災後の日本の状況を見ながら、いろんな方々が日本の中に混在していて、お互いを受け入れあって生きていける世の中になればいいな、という気持ちで作った作品です。
大高 先ほど奥山さん(※奥山和由プロデューサー/杉野さんの次回監督作をプロデュース)も仰っていましたが、セリフが一つ一つものすごく痛いんです。痛いというか、これありだなっていうセリフばかりなんです。それを杉野さんは普通の感じで、演技オーバー、アクションオーバーではなく、すごく普通の感じで演じていますよね。これは、監督の意図したものなのでしょうか?
杉野 監督の意向としては、脚本100ページ完璧にあったんですけど、現場に入る前にその脚本をぶち壊してくれと言われまして。セリフをなぞるよりも、もっと生の感情、むき出しの部分を見たいということで、セリフは同じように喋るところがあってもいいし、即興でもいいし、好きなように演じてくれていいと言われてあのような形になりました。

●特別賞 銀座シネパトス(代表出席:鈴木伸英・元支配人)
 長年の功績に対して

 2013年3月末で閉館した映画館「銀座シネパトス」。同館を代表し、支配人だった鈴木伸英さんが挨拶しました。

22nd_nichipro_5.jpg鈴木伸英・銀座シネパトス元支配人(以下、鈴木)銀座シネパトスを特別賞に選定して頂きありがとうございました。今日、シネパトスに寄ってきたのですが、地下街はあと2つ、食堂と飲み屋さんだけになっていて、外に2つあった時計塔の時計も、1つだけ止まっていたのですが、今日行ったら、もう1つも止まっていて、ものすごく寂しい気持ちになりました。
 28年間現場をやっていましたが、今は新しい部署で仕事をしています。このようにシネパトスを表彰して頂いたことで、シネパトスの勢いをもう一度違った形で仕事に生かすことができればと思っています。
 新宿シネパトスという劇場がかつてありましたが、そこで行われた「日プロ大賞」の第1回授賞式の時に大高さんと知り合うようになりました。この壇上にいるということが信じられず、たくさんの素晴らしい役者さん、監督さんたちと同じ席に呼んで頂き、大変感謝しております。
 いろいろと興行事情は大変になってきておりますが、ヒューマックスシネマは、これからも皆さんの注目を集められるような映画興行を続けていきたいと思っています。ご注目下さい。よろしくお願いします。
大高 テアトル新宿さんには「日プロ大賞」のために、劇場を空けて頂き本当に感謝しています。銀座シネパトスも、樋口さん(※樋口尚文氏/「日プロ大賞」選考委員であり、銀座シネパトス閉館に際し同館を舞台とした映画『インターミッション』を監督)がいろんなことをやられていた。そういうことが次はどこでできるのか。銀座シネパトスには、名画座であったと共に、いろんな映画人がそこに集まって来れる、そしていろんな人がそこで(情報を)発信できる。銀座シネパトスは、そういう映画館でした。鈴木さんから見て、映画人が集まって発信していく場としての映画館について、これからどのようにお考えですか?
鈴木 私は偉そうなことは言えませんが、シネパトスが3月31日に閉館してから劇場を整理するために掃除をしたりしながら、その時にずっと考えていたことは、本当にシネパトスは自由だったなと。シネパトスがなくなって、こんなこともあんなこともできるんじゃないか、ということばかり考えていました。でも、シネパトスがなくなってしまったから、こうした自分の考えをどこで果たすことができるのだろうか、とずっと考えていました。興行形態は色々と変わってきています。ODSとかデジタルとか。単に映画を上映していたのでは、うちは興行会社なので、映画館としての経営が成り立たないと思います。大手のシネコンさんもがんばっていらっしゃいますが、ヒューマックスもシネパトスが培ってきた自由さで、映画の可能性を今後も追求できると思っています。

●特別賞 大谷直子(代理出席:華子)
 『希望の国』および長年の功績に対して

 映画『希望の国』での演技、および、長年の功績により特別賞を受賞された女優、大谷直子さんですが都合により欠席のため、大谷さんの娘で女優の華子さんが代理で出席し、受賞の喜びを語りました。

22nd_nichipro_6.jpg華子 大谷直子の娘の華子と申します。今回は母が欠席のため、私が受け取らさせて頂きました。家に帰ったら母と喜びを分かち合いたいと思います。ありがとうございます。
伊藤 大谷直子さんは今回、園子温監督の『希望の国』で受賞されたわけですが、それまでブランクがあっての出演ということで、どうしてこの映画に出ようと決められたのか伺ってますか?
華子 母は、5年間お休みを頂いていたのですが体調が良くなった頃に映画の話が来て役どころを見た時「こんな大役、私には出来ない」と言って監督に一度はお断りしたみたいなのですが、監督がどうしてもということで母も考え直して挑んだと言っていました。
大高 大谷直子さんは、日本映画を代表する女優さんです。娘さんからみて大谷直子さんというのは、どのような女優さんであり、お母さんですか?
華子 お仕事をしている母を見ると、凄く綺麗だなと思います。でも、中身的には、私生活とお仕事でトークしているときは何ら変わりもなく、あまり飾らない人です。お家では、私のお古のTシャツを寝巻きにしているような、庶民的なお母さんです。
大高 『希望の国』をお母さんと一緒にご覧になられたんですか?
華子 はい、一緒に観ました。
大高 どんな印象でした? お母さんが出ている映画を一緒に観るというのはどのような感じですか?
華子 『希望の国』に関しては、母を観ているという感覚があまりなくて、そこに存在している女優さん、そこに生きている感じがすごくしました。母なのに凄く可愛らしくて、その可愛らしさが切なくて、涙が出てくるような感覚を受けました。


●主演女優賞 前田敦子
 『苦役列車』

22nd_nichipro_7.jpg前田敦子(以下、前田)映画をこよなく愛す皆さんから頂けた賞ということで、とても嬉しいです。まだそういう部分では卵の私ですが、これからも胸を張って「映画が好き」と言える人でいたいなと、改めて思いました。今日は本当にありがとうございます。
伊藤 受賞おめでとうございます。
前田 ありがとうございます。嬉しいです。
伊藤 『苦役列車』では、山下敦弘監督という本当に力のある監督とご一緒されたわけですが、女優人生はどのように変わられましたか?
前田 「こういう風になりたい!」「私も頑張ります!」と、初めて皆さんの前で言ったのが『苦役列車』の打ち上げの時だったので、そのことは忘れないです。
伊藤 今後の女優人生の中で作品のチョイスについて、どのように考えていらっしゃいますか?
前田 私はまだ選ぶとかそういう立ち位置ではないので、呼んで頂けて私にと言ってもらえるのであれば、何でも頑張りたいって思っている時です。
大高 昔の映画もたくさん観ていると聞いていますが、前田さんは昔の映画を観る時、どのような見方をされているのですか?
前田 ここ数日、山下監督と一緒に撮影をしていて、そういう話をしていた時に「あっちゃんは、キレイな女優さんとか、素敵な女優さんを探すのが好きなんだね」って言われました。自分が憧れるような人をみてしまうのかなと思います。
大高 前田さんが今まで観た映画の中で好きな作品は何ですか?
前田 自らよく観るのはモノクロ時代のハリウッド映画です。でも、お勧めされて観る映画は全然違うジャンルの映画だったりしますが、そういう映画も観るので何でも観ますね。何でも吸収したい時だと思います。
大高 小津安二郎監督の作品もご覧になったとか?
前田 日本の名作はまだ全然自分から手を出せていないのですが。最近では『晩春』(1949年)を観ました。
大高 『晩春』の原節子はどうでしたか?
前田 凄く魅力的でした。『東京物語』(1953年)を観た時、原さんのシーンが少なかったので、もっと観たいなと思っていました。それで『晩春』を観たら原さんがたくさん、原さんだらけだったので、凄く惚れてしまいました。大満足の映画でした。
伊藤 今日は『タマ子』の上映もあります。これも『苦役列車』の山下敦弘監督と作り上げた作品ですが、何か撮影秘話とかありますか?
前田 今日も『タマ子』の夏編を撮っていました。監督と会ってから2年目くらいですが、ようやく監督のそばに居れてる自分というのが感じられるようになってきました。監督がどこまでも諦めずに向かい合ってくれるのがすごく嬉しいです。

●主演男優賞 井浦新
 『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』『かぞくのくに』

22nd_nichipro_8.jpg井浦新(以下、井浦)『かぞくのくに』、そして『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』。この2つの作品は、去年参加させて頂いた作品の中でも思い入れのある、役柄も作品も、とてもやりがいのある、本当に向き合って、向き合い甲斐のある作品でした。その作品でこのような賞を頂けたことを、本当に心から嬉しく思っています。『11.25~』では、「三島で、新に主演男優賞を獲らせたい」と常々監督が仰って下さっていたので、監督も縁のあるこの賞で主演男優賞を頂けたということは、その想いに報いることができたという意味で、本当に嬉しく思っております。
伊藤 いまのお話ですと、『11.25~』で若松監督の願いを叶えた、ということですよね?
井浦 そうですね、本当にとてもありがたいです。『11.25~』で主演男優賞を頂けることは普通ではないというか、僕自身感じるものがとても大きいです。
伊藤 三島由紀夫という、本当に誰もが知っている方を演じる。それも若松孝二監督の作品で、というのはご自身の中で相当、俳優としての引き出しが必要だったのではないですか?
井浦 監督からオファーを頂いた時、第一声が「三島由紀夫さんご本人をなぞる必要はない。新の思い描く一人の男を演じてくれれば、それでいい」と仰ってくれました。確かに、日本人ならば大抵の方が名前を聞いたことがある人物を演じるというのは、プレッシャーが無いと言ったら嘘なんですけど、監督を信じて、監督にしがみつく思いで一人の男を演じたつもりです。
伊藤 『かぞくのくに』ではヤン・ヨンヒ監督と相当、話し合いをされたのではないですか?
井浦 『かぞくのくに』で僕が演じさせてもらった役というのは、ヤン・ヨンヒ監督ご自身の3人のお兄さんを一人に集約した役でした。撮影時期は、とにかく監督と世間話を多くしていました。それは、映画がどうだとか、ご家族がどうだとか、北朝鮮がどうだとか、そういう話ではなく、ヤン・ヨンヒ監督の生き方や考え方、ごはんは何が好きかとか、そういう他愛もない話で、何かそういうことの方が大事だと思って、監督とはよくそういう話をしていました。

●監督賞 若松考二(代理出席:井浦新)
 『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』『海燕ホテル・ブルー』

 映画『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』『海燕ホテル・ブルー』で監督賞を受賞した故・若松考二監督は、不慮の事故により12年10月17日、永眠されました。亡くなられた若松監督に代わって『11.25~』で主演を務め、同映画で今回、主演男優賞を受賞した俳優、井浦新さんが、若松監督が生前愛用されていたマフラーで記念の盾を受け取り、若松監督について、映画について熱い思いを語ってくれました。

22nd_nichipro_9.jpg井浦 若松監督、おめでとうございます。ここテアトル新宿は、若松監督そして監督の作品と共に、何度も訪れさせてもらった、僕の中で間違いなく聖地だと思っています。そのような場所に監督の代理で立たせて頂いたことは、僕自身光栄なことですが、何よりも監督がこのような賞を頂いたということが価値のあることだと思っています。
 いま、日本の映画界に激震が走っています。地方では多くの単館劇場が閉館されているという状況です。東京も同じです。「DCP」(デジタル・シネマ・パッケージ)により映画が撮りやすくなったと思いきや、上映がしづらく、その打開策は見つからないまま進んでいます。そういった中で、僕は若松監督の功績をちゃんと見直すべきだと思います。
 若松監督の独立プロというのは、僕は映画界の最後の砦だと思っていました。その監督が先に逝った今、残された映画人たちは、役者も含め、作り手側も、映画を伝えていく側も、ちゃんと見直していかないと、映画という一つの文化が衰退してしまう。それは絶対にしてはいけない。映画の火を消さないよう、映画人は、それそれが一丸となって、映画のために活動し続けていかなければいけないと思っています。
 僕が若松監督の背中を見て学んできたことは、監督ご自身が自ら全国津々浦々、自分で作った映画を持っていき、全国のみなさんに届けて、そして、観て頂いた方達と映画について語り合う。そういう地道な草の根運動です。そういう原点というか、当たり前のことが、映画の業界では薄れてきてしまっていると思いました。
 大きな映画になればなるほど、東京、大阪、福岡…大都市での舞台挨拶のみ。そういうことが近年、当たり前になってきてしまったことが、映画に元気がなくなっていくきっかけを生んでしまったのではないかと思っています。
 若松監督自身が歩いた映画館というのは、毎回客席が満員となって、作品によっては、そこの映画館が借金を返済していける。それくらいの熱を持った映画をご自身が全国に届けていました。こういう結果が出ているからこそ、監督は自信を持って独立プロという形で映画作りをされ続けていたんだと思います。僕もそういう場から、たかが一役者ではありますが、監督の背中を見続け、映画とは何なのか、役者って演じるだけなのか、そういうことを学ばせてもらいました。
 暗い話をしているつもりではないのですが…。こういう場にわざわざ足を運んで頂いた皆さまを見ていても、とても伝わってくるのですが、映画はまだまだ盛り上がってるじゃないかと感じるんです。今日この場に来て頂いた皆さまも、映画という一つの文化を盛り上げていって下さる、大切な一人だと思っています。大きなことは言えませんが、「映画をよろしくお願いします」というのも何かちょっとおかしいですが、本当にそれくらいの思いです。
 そして、若松監督の受賞を機に、まだ若松監督の作品を観たことが無い方がいらっしゃいましたら、ぜひこの機会に若松監督の作品をどうぞご覧になって下さい。いま僕が言った話というのは、正直、映画界の裏側の話で、皆さまがそこまで受けることではないかもしれません。でも、作り手側の思いというものを、作品をもって感じて頂ければと思います。インディペンデントの、独立プロの、映画界の砦となっている若松孝二監督の作品を是非、皆さまもご覧になって、貴重な日本の一つの歴史をどうぞ感じて下さい。よろしくお願いします。若松監督、おめでとうございました。
大高 若松監督が凄いのは、映画館に来た時に自分で映画のチラシを持ってくるんですよ。で、そのチラシをお客さんに配っているんですよね。それが本当に原点だなと。なかなかできないですよ、そういうことは。あそこまでの監督が。ということを今、井浦さんのお話から思い出して、本当に感無量です。

●作品賞 『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』(入江悠監督)

22nd_nichipro_10.jpg入江悠監督(以下、入江)僕らはインディーズから始まったので、一番プロフェッショナルから遠いのに『日本映画プロフェッショナル大賞』の作品賞を頂けたのは凄いなあと。今日も待ち時間にホームページを見直していたら、『おだやかな日常』も『Playback』も、それこそ若松さんも全部インディペンデントじゃないですか。これは画期的だなと。「何が東宝だ!」と言いながら僕はビールを飲んでいました(笑)インディーズが『日本映画プロフェッショナル大賞』でも良いじゃないかと。最初は本当にヤカラのように池袋の駅前でビラを撒いていて、2週間の上映が「この映画(※第1作目『SRサイタマノラッパー』)お客さん入るから3週間やろうか」って言われて、そこからシリーズ通して、バルト9、シネクイントと来たので、やっとという感じですね。
大高 さっき、井浦さんがここ(テアトル新宿)を“聖地”と言いましたよ。
入江 テアトル新宿は当時、持ち込んだらゴミ箱入りでしたからね(笑)ロサだけでしたから、当時は本当に。
大高 2つ聞きたいことがあります。監督、あの長回し。あれ私、一番驚いたんですよ。驚いたというのは、長回しって色んな方がやっています。溝口健二でも、相米慎二でも。まったく違う長回しの感じがしたんですけど。
入江 僕は溝口健二監督が大好きで、溝口健二みたいな、俳優をどこまでも追いつめる長回しをやってみたいなと思ってやっていたんですけど。どうしても相米慎二みたいに…。
大高 相米さんとも全然違う長回しだと思いました。
入江 クレーンが無いので『クレーンが無い相米慎二』みたいになっちゃって(笑)
大高 全然長回しの感じがしないっていうのはどういうことなんですか?
入江 溝口健二の、気づいたらワンシーン・ワンカットで撮っていたスタイルが凄い好きで、昔編集を褒められることがよくあったんですけど、編集を褒められるとあまり嬉しくないですよね。それだったら、下手でもいいからずっと俳優を追い込んでいくというか、ラップとかもあるので、途中でトチったらまたゼロからなんですよ。
大高 だから、大変なことをやっているわけなんですよ。あれ、リハーサルとかどうなんですか?
入江 2カ月前くらいからずっと練習させて、ひたすら覚えさせて、しかもそのラップチームも僕も、前日とかにもっといい歌詞が浮かんだといって差し替えたりするんで、そういう意味で俳優は本当に鍛えられたと思います。
<ここで乱入し盛り上げてくれたキャストの中から「大変だったんだぞ、バカヤロー!」のヤジが飛び、会場の空気が更に和む>
大高 文句出ましたけど(笑)
入江 大変だと思いますよ。普通の商業映画でこんなに俳優さんのスケジュールを撮影前から押さえてリハーサルできるかっていったら、できないですから。それも含めてインディーズという意味では、暇なんだったら暇なりにやってやろうって感じでしたね。
大高 長回しだけではないですよ、『SR』の凄いところは。面白いですよ。飽きさせないしね。凄いと思いました。
入江 本当は『寅さん』みたいに47都道府県まわろうと思っていたんですよ。
大高 聞こうと思っていたんですが、『SR』は今後どうするんですか?
入江 やりたかったんですけど、いかんせん僕らの後ろには松竹がいなかったていう(笑)僕の貯金をベースに作っている映画なので。あと、だんだん『3』までやってきたら、今まで暇だった俳優が事務所に入りだして、安いギャラで使えなくなったという事情もあって。3部作ということで1度、打ち止めというか。また機会があったらやりたいですね。正直宇宙ぐらいまでやりたかったです。シリーズ物が大好きなので。『トラック野郎』とか『釣りバカ』もそうですし『寅さん』も。俳優とともに年を取って観客も年をとり、でも映画の中にはずっといるっていう。そういう作品が日本映画でなくなってしまったので、意地でもやってやろうと思ったんですけど。
大高 もの凄くいいのは「映画が好きだ!」っていう叫びがあることですね。どういう映画が反映されているのかっていうのは、監督の頭の中でいろいろあるでしょうけど。
入江 「映画が好きだ!」っていうより「映画を撮りたい!」って感じですね。撮れるチャンスが無くて、俳優たちも出れるチャンスが無かったので、もう「撮りたい!」っていうだけですね。
大高 先が観たいですね。
入江 いまツイッターとかで彼らの出ている別の映画を、ディスると言うか「全然面白くないよね」って言い続けて、早く事務所をクビになって、またこっちに戻ってこないかなって思っているんです(笑)再結成したいなと思っています。
(了)


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