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野田助嗣専務取締役映像本部長の死去で今後の松竹は…

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野田助嗣専務取締役映像本部長の死去で今後の松竹は…

2011年06月03日

 松竹(株)の映像部門の最高責任者だった野田助嗣専務取締役映像本部長(兼映像統括部門担当)が、1日午後膵臓ガンによる多臓器不全のため都内の病院で死去した。65歳だった。通夜は8日(水)午後6時~、葬儀・告別式は9日(木)午前10時~、東京都台東区上野公園14‐5の上野寛永寺輪王殿で執り行われる。喪主は妻の洋子さん。

 野田さんは、1946年(昭和21年)3月1日東京生まれ。69年(昭和44年)3月中央大学経済学部国際経済学科卒、前年3月松竹に入社、以来一貫して映画興行部門を歩み、98年1月の奥山親子解任後、取締役(98・5)、常務取締役(00・5)、そして03年5月に常務取締役映像本部長に就任、映画の企画製作から配給、興行、2次利用まで映像部門の統括責任者として亡くなるまでその役割を果たして来た。特に2000年以後、新体制による若返り政策もあり、ベテラン社員が関係会社に転出、また迫本淳一社長が弁護士出身ということもあり、同社の映画部門の“顔”として様々な活動を展開。テレビ局から代理店など、その人脈の広さは松竹随一だったと言えよう。

 また、映像本部長として渡辺プロダクション創業者だった故・渡辺晋氏らをモデルに描いた「この世の外へ クラブ進駐軍」(’03)を第1弾に同社の邦画作品に「製作総指揮」「製作」「企画」等々で名前を連ねて来た。特に野田氏の父が富山県出身ということもあり、富山を舞台にした作品への思い入れは人一倍だったようである。富山出身の本木克英監督「釣りバカ日誌13 ハマちゃん危機一髪」(’02)であり、富山地方鉄道を舞台に今年12月に公開する「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」(三浦友和主演)は、製作者としての野田専務の事実上の遺作と言っていいのではないか。

 いずれにしろ同社は、新歌舞伎座及び新歌舞伎座ビルが開業する2013年春まで厳しい経営環境下にあり、「おくりびと」(’09)以後、大ヒット作品に恵まれない同社の映像部門の舵取りをどうとっていくのか、野田専務亡きあと、迫本社長の手腕が期待されている。

(代表取締役社長:指田 洋)
 

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