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「映画の未来 バリアフリー上映を考える」

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「映画の未来 バリアフリー上映を考える」

2011年11月18日

ユニジャパン エンタテインメントフォーラム

「映画の未来 バリアフリー上映を考える」


 第24回東京国際映画祭の共催企画「映画の未来 バリアフリー上映を考える」が行われた(10月28日、六本木アカデミーヒルズ49)。
〈主催:公益社団法人ユニジャパン(第24回東京国際映画祭実行委員会)、一般社団法人映画産業団体連合会、一般社団法人日本映画製作者連盟、一般社団法人外国映画輸入配給協会、全国興行生活衛生同業組合連合会、協同組合日本映画製作者協会/協力:NPO法人メディア・アクセス・サポートセンター/技術協力:オリンパス〉

 視聴覚障害者の映画鑑賞は、映連加盟社が中心となり、日本語字幕版の上映や音声ガイドを施した映画の上映を行っているが、近年の情報化社会の進展、科学技術の発達に伴い、視聴覚障害者の多様なニーズへの対応が求められている。

 自国で製作された映画のバリアフリー化は、どの程度進んでいるのか。日本と海外との比較が興味深い(2010年時点)。
〈アメリカ〉全422本のうち、音声ガイド付き=74本/18%、字幕付き=117本/28%、未対応=231本/54%
〈イギリス〉全557本のうち、音声ガイド付き=125本/22%、字幕付き=125本/22%、未対応=307本/56%
〈日本〉全408本のうち、音声ガイド付き=4本/1%、字幕付き=51本/12%、未対応=353本/87%

 同様に、バリアフリー対応のスクリーン数の比較もある。
〈アメリカ〉字幕対応=539以上、音声ガイド対応=300以上
〈イギリス〉字幕対応=300以上、音声ガイド対応=300以上
〈日本〉字幕対応=ゼロ(字幕付きフィルムで対応)、音声ガイド対応=ゼロ

 現在、日本国内の聴覚障害者の数は一般的に600万人と言われているが、70歳以上の人口は2197万人いる。その半数が難聴になると考えると、聴覚障害者は1000万人を優に超える。視覚障害者についても、見えにくい人を入れると同数近くになると見られる。

 今回の企画は、(1)シンポジウム「視聴覚障害者のための『映画』の在り方を考える」、(2)「幸福の黄色いハンカチ」バリアフリー上映会×トークショー「山田監督を囲んで」の二本立てで行われた。

 シンポジウムは二部構成で実施。第一部では山田洋次監督が基調講演を、第二部では実際にバリアフリー上映に関わっている人たちがパネル・ディスカッションを行った。



■第一部:基調講演 山田洋次監督
(以下、講演の要旨)

山田洋次監督.jpg 僕は、バリアフリーに関して特別なデータは持っていないが、日本にはバリアフリー映画のための公的な支援が殆どなく、先進国の中で遅れているのは間違いないこと。ボランティアや企業メセナの大変な努力に頼っているのが現実である。

「息子」で日本語字幕を制作

 僕がバリアフリー映画に関心を持ったのは、30年以上前のこと。寅さん(「男はつらいよ」シリーズ)を年2本撮っていて、大変に忙しい時期。親戚に生まれつき耳の聞こえない青年がいて、彼とは筆談でやり取りをしていた。彼が言うには、「近頃、寅さんを見る機会がない。今まではろうあ者用の16ミリを見ていたが、都が予算を打ち切ってしまって、それ以降は洋画を見るしかないが、全部は理解できない。おじさん、努力してくれよ」と。その頃から、バリアフリー映画について考え始めた。でも、字幕を付けるといっても、工夫した字幕でなければ映画を楽しめない。

 そして、1991年に「息子」という映画を作った。三國連太郎さんが父親で、息子が永瀬正敏くん。東京の町工場で働く息子は、和久井映見さん演じる取引先の美しい娘にラブレターを出す。でも、返事をくれない。ダメだと思っていた時、息子は、その娘に耳の障害があることを知る…。当時、前述の甥っ子がFAXを愛用していて、映画にFAXを採り入れた。劇中の若い二人はFAXを使って、電話と同じようなやり取りをする、そんな場面を作った。この映画をなんとか甥っ子に見せなければと思い、プロデューサーと会社に相談。その結果、キリン(福祉)財団が話に乗り、費用を出してくれることになり、ろうあ者用の字幕プリントを作ることができた。それ以降も僕の全作品を支援してくれた。一般の映画館で上映し、見てもらおうと、字幕プリントのスケジュールを決めて新聞に情報を出していった。

「武士の一分」で音声ガイド

 寅さんで九州ロケを行っている時、目の見えない按摩さんが、僕の肩を揉みながら「寅さんのファンです」と話してくれた。聞くと、「目が見えなくても楽しめる。ちゃんと想像できる」と言う。僕は目の悪い人も見てくれているんだと知り、なんとかして音声ガイド付きのプリントを作れないかと思い始めた。

 2006年12月に「武士の一分」を公開した。木村拓哉くんが演じる下級武士が藩の毒見役で、猛毒にあたって視力を失う。目が見えないまま、藩の仕事をして細々と暮らしていると…というお話。この「武士の一分」で、初めて音声ガイド付きのプリントを制作した。この時もまた企業メセナで、「学校」シリーズから僕の映画の出資社である住友商事が、音声ガイド制作の費用を出してくれることになった。これ以降、「母べえ」「おとうと」と、音声ガイド付きプリントを制作している。

名画のラストシーンにセリフなし

 僕の音声ガイドにまつわる思い出は14、15年前のこと。視覚障害者の集まりが奈良であった。主催者の女性は、映画が大好きで、8歳までは目が見えていたそう。その記憶をよすがに、今も映画を見ている。映画館で映画を見るのは楽しい。客席のざわめき、笑い声、観客が鼻をすする音などを聞きながら、想像するのが楽しみだ、と話してくれた。その人が「でも」と切り出して、「ラストシーンはバリアね」と。つまり、映画のラストシーンには音楽はあっても、セリフがないことが多いので、手も足も出ないと。でも、「『幸福の黄色いハンカチ』はわかった」と言ってくれた。何故かと問うと「だって、旗の音がしたでしょ。たくさんのハンカチが翻っているのがわかって、感動した」と。名画と呼ばれる映画のラストシーンは、確かに、無言の場合が多い。

技術の進歩を大歓迎

 技術面の研究開発が進んできて、今はヘッドマウントディスプレイという機械がある。これをかぶると、目の前に字幕が浮かぶ仕組みであり、こういう開発が進むのは素敵なこと。前述したとおり、甥っ子の影響により「息子」でFAXを採用して、僕の家にもFAXを入れた。甥っ子は、近年はパソコンのメール、ケータイのメールを使い、彼の妻もろうあだが、子どもとも会話ができている。技術の進歩は、手放しで嬉しい。

 3月11日(東日本大震災、福島第一原発事故)以降の課題として、“科学技術の進歩、イコール人間の幸福”ではなくなって、19世紀、20世紀の価値観が崩れてしまった。こうした中でも、障害を持つ人のバリアを少しでも低くするために、科学技術はどんどん進歩してほしい。
(次ページへ続く)




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