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トップインタビュー:松岡宏泰・東宝東和代表取締役社長

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トップインタビュー:松岡宏泰・東宝東和代表取締役社長

2008年07月30日
          東宝東和、生き残りをかけた戦いが始まる
            弟とテニス三昧 強制ない父親の態度
           タレント・エージェンシーICMで修行開始

            
松岡宏泰氏が、東宝東和の社長に就任した(4月21日)。川喜多長政、白洲春正、平沼久典氏に続く4代目社長である。入社が14年前。絶頂期の後半から現在まで、東宝東和の大変貌期を生きてきた。松岡氏が語る東和以前=以後。


本誌 読売新聞で、今年の3月から松岡功東宝会長の“時代の証言者”が連載されました。会長がほとんど初めて、自身の映画人生について語った記述だったので、私は大きな関心をもって読んだわけです。「影武者」で黒澤明監督とうまくいかなくなった勝新太郎のところに、会長が黒澤監督の意向をたずさえて赴くところなど、いくつか興味深い内容があるんですが、その中に松岡宏泰さんのことが出てきます。ちょっと引用しますと「その年(1965年)の夏、日本から(イタリアへ)妻子を呼び、アパートを借りました。翌66年、長男の宏泰が誕生します」。

松岡 そうなんです。私は昭和41年(66年)に生まれたんですけど、そのとき父は東宝のローマ事務所にいて、東和の川喜多(長政)さんのお仕事も手伝っていたようです。当時はイタリア映画がすごく強い時代ですね。マカロニウエスタンもあるし、「世界残酷物語」なんていうのもあった。イタリアには父は3年ほどいたと思います。僕は姉が1人、弟が1人で真ん中なんですが、姉貴は東京の生まれ、僕はイタリアで生まれて、弟はたぶん母が妊娠5か月とか6か月ぐらいの間に、東京に戻ってきたんじゃないかと思います。

本誌 松岡会長は、「生まれてすぐ、『宏泰誕生、母子とも無事』と電報を出しました」と語っています。

松岡 うちの姉貴がまだ小さくて、よちよち歩きだったと思います。母と姉貴が、たぶん半年遅れでイタリアに行ったのではないかと思いますね。

本誌 生まれたのが「近所のローマ大学付属病院」とありますが、この病院はまだあるんでしょうか。

松岡 らしいですね。脱線して申し訳ありませんが、私が24歳のときに、貧乏旅行でヨーロッパを一周したことがあるんですよ。そのときにイタリアに行き、どうしてもそのローマ大学付属病院に行きたいなと思って、訪ねたことがあるんですね。もちろん、イタリア語なんて、何もできません。着いたら、「こういうところ、こういうところ」と言って(笑)、そうしたら、何となく「こっちだ」と言われて、連れていかれたところが産婦人科らしきところでした。トントンと階段を上がっていったら、向うにたくさんの妊婦さんがいるフロアがあって、そこに行って、「僕はここで生まれたんですよ」と英語で言ったわけです。それで英語のわかる女医さんがきて、「どうしたの?」と話しかけてきて、「実は僕は、24年前にこの病院で生まれたんです。ここは、ローマ大学病院ですか」と聞いたら、「そうだ」と。そうしたら、その女医さんがそこにいる妊婦さん全員に、「この子は24年前にこの病院で生まれて、自分が生まれたところを確かめに来たんですよ」と言うと、妊婦さんたちにハグされて(笑)。

本誌 自分が生まれたところを見て、何か感慨がありましたか。

松岡 まあ、きざな言い方ですが、単純に自分が生まれたところを見たかったわけですよ。うちの姉弟は、育った場所の近くで生まれていましたのでね。病院を通るたびに、姉とか弟は「あなたたちは、ここで生まれたのよ」と言われていたのに、自分だけは「あなた、ここで生まれたのよ」がなかったんです(笑)。それで、すごくそこを見たい気持ちが膨らんでいった。小さいときからでしたね。だから、24歳のときにその場所を確認できたのは、何かすごくほっとしたというか、うれしかったという気持がありました。ただ、そのあとの人生に何か影響があったかというと、何もないような気がもしますが(笑)。

本誌 でも、そこに行ってみたいというのは、すごくわかります。それでちょっと戻りますが、何歳ぐらいまでイタリアにいたんですか。

松岡 1歳ちょっとぐらいだと思います。

本誌 すぐに日本に戻ってきたわけですね。ということは、松岡会長が日本に帰ってきたということになりますね。

松岡 そうです。
本誌 それから、ずっと日本での生活になるわけですね。
松岡 そうです。ずっと、大学を卒業するまで、東京で暮らしていました。


弟とテニス三昧

本誌 大学は慶応ですが、卒論は何でしたか。

松岡 お恥ずかしい話なんですが、私は体育会出身なので、日本の大学の卒論を書いてないんですよ。ですから、ゼミにも入らなかったのですね。

本誌 逆に、それはすごいじゃないですか。スペシャルというか。

松岡 いやいや、勉強していないだけですよ。全く、やらなかったですね。運動部のほうは、盛んに練習してましたが。テニス部にいたんですよ。4年間、みっちり、テニスコートばかりで暮らして。

本誌 それは、会長の影響ですか。というのは、さきほどの「時代の証言者」のなかに、「家でもテニスの話をしませんでしたから」とあるものですから。だから当然、松岡さんも、「知らなかった」だろうと。だから、影響があるということはないだろうと。

松岡 はい、そうですね。確かに、知らなかったですね。でも、母が「テニスやりなさいよ」ということで、僕らをテニスコートに連れて行ってくれたんですよ。もっと言うと、姉貴がやっているところを見に行って、どうも弟が「テニスって、面白そうだ」。「じゃあ、あんたたちもやりなさいよ」と姉貴に言われて、入れてもらったわけです。そこでコーチの人から、「君のお父さんって、すごい強かった人だった」って言われて、「え、知りませんでした」っていう、そんな感じでしたね。本人からは、確かに「俺は昔、テニスをやっていたんだ」とは、言われたことはありませんね。

本誌 弟の修造さんは、当時圧倒的にテニスが強かった福岡の柳川高校に行かれたと思いますが、松岡さんは。

松岡 高校生のときに、母と一緒に見学には行ったんですが、ただその当時、東京から柳川高校に転入するなんてことは、選択肢として誰も思いつかないことなんですね。弟は、テニスをやるなら、このままではいかんと、柳川にいきなり行っちゃいました。

本誌 そういうときに、会長なり、お母さんは、どういった反応だったんですか。

松岡 母のほうが、「慶応に残ったらいいんじゃないの」とか、「そんなところに行って、テニスできなくなったらどうするのよ」みたいなことを言っていた記憶がありますが、父は逆に、本当にテニスがしたいなら、今のままやったら、たぶん強い選手になれないから、テニスをするんだったら、そういう選択肢もあるだろうなという風には、考えていたと思いますけど。そういう風な声のかけ方をしていたと思います。

本誌 そういうときの松岡さんは、どういう態度だったんですか。

松岡 自分も一緒に柳川に行くという選択肢はなかったですね。技術的な差もそれほどなかったとは思うのですが。弟とは、ドングリの背比べだったですね、テニスの腕前は。僕と弟以外に数人、わりと強い選手がいて、誰が勝ってもおかしくないような状況だった。だから、技術的に見れば、彼が行ったから、僕が行ってもおかしくなかったんですけど、やっぱり彼のほうがテニスで食っていきたいという気持ちが、あのころからあったんでしょうね。あそこまでいくとは、本人も思っていなかったでしょうが。自分でも言ってますけど、彼は当時はマージャンばかりやっていましたね(笑)。

本誌 えー。マージャンですか。

松岡 僕はやらなかったんですよ。どうも彼の友人に、あまりよくないのがいて、「よくない」って言ったら怒られちゃいますけど(笑)。だから、その友人によくマージャンを誘われましてね。一緒にテニスの練習に行くはずが、「兄貴、ちょっとごめん」と言って、あいつだけマージャンに行ってしまうわけですよ。帰るときは、2人で待ち合わせて、さも2人で練習してきたようなふりをして帰ったわけです。僕は毎日練習して、向うはしないわけですから、どんどん差が付いていく。数か月するともう勝てなくなって、それも悩みの種だったと思いますね。


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