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チベット問題を題材にしたドキュメンタリー映画『ルンタ』の池谷薫監督

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チベット問題を題材にしたドキュメンタリー映画『ルンタ』の池谷薫監督

2015年07月02日

「ルンタ」メインhigh-1.jpg

 
 蓮ユニバース製作/配給『ルンタ』が7月18日(土)より渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開される。

 
『ルンタ』は、池谷薫監督の最新作。池谷監督は、文化大革命をモチーフにして描いた『延安の娘』(02年)、日本軍山西省残留問題を追った『蟻の兵隊』(05年)、3.11後の陸前高田市に住む人々を撮った『先祖になる』(12年)で知られるドキュメンタリー作家。

 
今作は、自らの体に火を放つ「焼身抗議」に代表されるチベット問題を映したドキュメンタリー作品。141人のチベット人が中国に対してこの抗議活動を行い、命を落としている。また、そのほとんどが若者だという。決死の抗議活動を外国メディアの前でおこなった青年僧、長期間監獄に入れられても仏教の教えを頑なに守る老人、拷問を受けたという元尼僧などから証言を得ることに成功している。前半は、チベット亡命政府の街・ダラムサラ、後半は、中国が管理するチベット本土で撮影されている。

 
5年前、池谷監督と記者は、大学教授と教え子の関係にあった。当時受けていた講座は、「ドキュメンタリー映画史」という、名称だった。「俺がチべットを撮るか、お前らが映画を撮るか、どちらが早いか勝負だ」と生徒に熱く語りかけていたことをインタビュー中に思い出した。そんな池谷監督が長年にわたり持ち続けてきた情熱が具現化した『ルンタ』とは―。






チベット人が持つ不屈の精神を撮った

『ルンタ』池谷.jpg――『ルンタ』、製作の動機を教えてください。

池谷監督(=右写真) チベット人が持つ不屈の精神を撮った。『ルンタ』に登場するすべてのチベット人が持っている精神。利他の心、他者の為に生きる精神という素晴らしい考えをもとに非暴力の闘いを続けているということだ。また、「焼身抗議」という痛ましい現実を多くの人に知ってもらいたい。

 最近はどのニュースをも見ても、暴力が尽きない。暴力が世界中に溢れているこんな時だからこそ、チベット人たちの非暴力を貫く姿勢というのは、かけがえのない宝石のようなものであり、愛おしいものだ。

 例えば、遊牧民の暮らし、大自然、風の音がスーッと流れていく大自然、綺麗な花、毛の長いヤクという家畜、ヤクの乳搾る時にはお経を唱える彼ら。こういったものは、単なる生活ではなく、文化だと思う。

 今それらが、危機にさらされているということを知ってもらいたい。「もしかしたら、こういった美しいものが世界から無くなってしまうかもしれない、本当にいいんですか?」いう想いを込めた映画。通り一辺倒の告発映画ではないことは、わかってもらえるはず。


■作品の背景 (『ルンタ』公式HPより抜粋)

 
1949年、中華人民共和国を樹立した毛沢東は直ちにチベットへ侵攻。2年後、チベットは事実上、中国の支配下に置かれた。1959年、ダライ・ラマ14世はインドに亡命。後を追うように約10万人のチベット人たちがヒマラヤを越えてインドやネパールに亡命した。2008年、北京オリンピックを目前に控えチベット全土で平和的デモが発生すると、中国当局は容赦のない弾圧を加え、ラサだけでも200名を超えるチベット人が命を奪われた(亡命政府発表)。これによりチベット人の中国政府に対する不信感が高まり、今も増え続ける“焼身抗議”の誘因となった。


「ルンタ」‐7-1.jpg――池谷監督から見たチベット人は、どういった人々でしょうか。
 
池谷監督
彼らは、本当は、明るくて人を楽しくさせてくれる人々。歌をよく歌うほどにね。また、義理人情にものすごく厚い。一度友だちになれば、とことん尽くしてくれる人たちだ。ホスピタリティの精神に溢れているというのかな。

 それだけに、彼らが「焼身抗議」に出るというのは、よほどのことなんだ。彼らは、ダライ・ラマ法王の教えを固く守り、絶対にテロや暴力という形に出ない。
 
 誰も傷つけずに自分たちチベット民族、同胞のために何かをしようと考えるわけだ。言ってみたら、その最後の手段として「焼身」に行きつく人がいるということだ。例えば、デモをやった時に警官に殴られた時に、殴り返さないでいられるか。その暴力を使ってしまう恐れもあると思う人も中にはいる。
 
 『ルンタ』では、拷問を受けたお爺さんが、「自分たちは中国にいじめられているとは思っていない。自分たちのカルマ、運命の問題だと思っている」と言うシーンがある。僕は、その返答を予測していなかった。取材の後は、不思議とすがすがしい気分になった。いい意味で裏切られた。観客も僕と同じように裏切られていく予測のつかない映画になっているはず。

142人が焼身抗議

「ルンタ」-4.jpg――「焼身抗議」について、池谷監督の今の気持ちをお聞かせください。
 
池谷監督
「焼身」とは、良いことか悪いことかと、よく聞かれる。『ルンタ』では、そういったことは、描いていない。そんなつもりは毛頭ない。許されることかどうか、この質問もよく聞かれる。そ りゃあ、一日でも早く無くなることを願っている。

 『ルンタ』の中で、2008年のデモに参加した青年僧が、「『焼身』をする人たちは、皆同じ想いを持っている。自分の後に、もう焼身者が出ないことを願う想いだ」と言う。そう願いながら、自らの身体に火を放っているのだろうと。まさにそういうことだと思う。

――『ルンタ』撮影時には、141人が焼身したと記録されていますが、現在もそのまま141人でしょうか?

池谷監督 残念ながら、142人に増えたらしい。今年の3月にもう一人「焼身」した。恐らく、142人目だ。中々絶えない。こういった情報は、この映画の語り部を務めた中原さんのブログを見ればすぐ知ることができる。2012年11月という年は、すごく多かった。その月だけで、28人程焼身している。それを毎日、ダラムサラの自宅のパソコンに向かって書き続けた中原さんの哀しみを想うと、胸が張り裂けそうになる。


 中原一博氏は『ルンタ」の水先案内人/語り部を務めた人物。インド北部の町ダラムサラに30年間住み続ける建築家/NGO代表。チベット亡命政府お抱えの建築士であった中原氏は、08年に起こったチベット人らによる平和的デモを契機にブロガーへと転身。毎日、自宅のパソコンに向かい、チベットで起こった事件や話題を発信し続けている。
 
 池谷監督と中原氏との出会いは、26年前。当時、テレビ番組のディレクターだった池谷監督は、ダライ・ラマ14世がノーベル平和賞を受賞したという内容の番組を制作。取材活動の中で、出会ったという。「26年の月日を経て、共に映画を撮るとは思ってもいなかった」と池谷監督は語る。


「ルンタ」- 2.jpg――「焼身抗議」が起きた頃のことを教えてください。
 
池谷監督 まさにまった無しの状況だった。「もう何がなんでも、とにかく撮らなくては」と思ったんだ。残念ながら、日本のメディアは、「焼身抗議」をほとんど報道しない。なんとしても多くの人に知ってもらいたいという気持ちが強くなった。

 ある日、中原さんを水先案内人にすることで、チベットを撮れることに気付いた。こんなにうってつけの人はいないなと思った。そして、もうひとつの案を思いついた。中原さんとともに、チベット本土を旅するという案だ。やはり実際に焼身という痛ましいことが起こっているチベットを彼と歩かなければならない。覚悟した。
 
――並々ならぬ覚悟に思えますが。
 
 池谷監督
そこまでしないと映画にならないと思った。実際に、焼身抗議が行われているチベット本土を歩かなければ、「焼身」を語れないだろうと思った。

「焼身」から逃げない

――チベットを意識し始めたのはいつ頃からでしょうか。

池谷監督 30年前からだ。チベットと僕の間には、縁があった。僕は、「出会い」を大事にする作家だから。「縁がある」というのはとても重要なことなんだ。

 1984年、僕は当時勤めていたテレビプロダクションを辞めて、インド放浪の旅に出た。4カ月くらいブラブラしていた。その中で、チベット人が生活しているラダックという町に立ち寄った。そこで高山病にかかってしまった。その時に介抱してくれたのが、チベット人だった。素性も知れない僕を、家族のようにもてなしてくれた。

――池谷監督から見た中原氏は、どのような人物でしょうか。

池谷監督 心が本当に綺麗な人。彼がいつも言うのは、「チベットをいつも思ってくれてありがとう」という言葉。その言葉を彼は、チベット人のように言う。僕だけではなく、チベットに対して支援している人間に向けてね。本当にチベットを愛している人。見た目もチベット人と見分けがつかない(笑)。

 あと、世代的に言うと、中原さんは僕の6つ上。僕の兄貴も中原さんを同じ6つ上。しかも、それぞれ建築をやっているんだ。そういう部分のほかにも、中原さんと僕は、被爆2世だ。年の差は6つあるが、反戦の想いや価値観なんかが、どこか共通していると思う。そういったことは同じ映画を作っていく上で、かなり大きい要素。

――中原氏をどのようにして『ルンタ』出演に誘いましたか?

池谷監督 中原さんは、『先祖になる』を東京まで観に来てくれた。直接交渉するために僕が呼んだんだ。僕の作品は恐らく全て観てくれているから、どんな作品を撮っているかも知ってくれていた。『先祖になる』上映後、酒を飲みながら、僕は、「決めた。僕はあなたを撮る。出演してくれ、あなたの映画を撮らせてくれ」と率直に言った。中原さんは、仏教を学んでいる人だから、自分が表に出ていくことを、良しとしない人なんだ。そこらへんは奥ゆかしい所があるんだ。

 それで、僕は、「中原さん、『焼身』から逃げないよ」と言った。すると中原さん、「そう言われたら断る理由がなくなる」って言っていたよ。誰よりも中原さんは「焼身」を世界の一人でも多くの人に知ってもらいたいと思っているからね。そう答えてくれた。

「人間の尊厳とは何か」が毎回のテーマ

――池谷監督は試写会で「『人間の尊厳とは何か』をいつも命題にして、映画を撮る」とおっしゃいました。『ルンタ』ではどのように反映されていますか?

池谷監督 いつもギリギリのところに置かれているチベット人が、恨みや憎しみではなく、他者を考えることができる力。そこに「人間の尊厳」を感じた。チベット人が、「人間が人間らしく生きるとは何か」を我々に教えてくれているような気がする。僕は、どんどん被写体に惚れていくタイプの作家だと思う。やはり彼らを心底好きになった。

――その感情は中原氏にも向けられたのではないでしょうか。

池谷監督 うん。好きになったら、恋愛と同じで、その人のアキレス腱みたいなものを知りたくなるじゃない。弱みっていうのかな。ずっと付き合っていれば、中原さんの嫌なところだって知っていくわけだ。だけど、それを面白く思っていくということだね。なおかつ、共犯関係をいかに築いていくかということも大事。撮らせてもらっている間は、撮れない。特に、緊張感のあるシーンなんてのは。一緒に映画作っているという関係にならなくてはいけない。『蟻の兵隊』の主演・奥村和一さんとは、一緒に闘っている気持ちだった。

――『蟻の兵隊』では、池谷監督と奥村氏が撮影裏で映せないほどの喧嘩していたというエピソードがありました。そういった様子のシーンは、『ルンタ』では見られませんでしたが、実際に中原氏と喧嘩するなどはあったのでしょうか。

池谷監督 (笑)。なかったよ。『ルンタ』は、今までの映画と少し違う。『蟻の兵隊』では、奥村さんを追い込むようにして撮っていた。『蟻の兵隊』は、どこまでも奥村さんを描く映画だったから。『先祖になる』も、佐藤直志さんの生き様を撮る映画だった。

「ルンタ」-10.jpg――なるほど。

池谷監督 しかし、『ルンタ』の場合は違う。この映画の真の主役は、中原さんじゃない。チベット人なんだ。チベット人たちのかけがえのない暮らし、文化、アイデンティ、ふるさとを想う姿だ。あくまでも中原さんは、語り部だ。

 そこに気付いてくれる人もいた。今までの池谷の作品とちょっと違うぞ、と。「池谷監督も中原さんも、焼身さえも、どこかに置き去りにして、映画が勝手に進んでいる」と言ってくれる人がいた。とても嬉しい褒め言葉だ。その人は、「池谷監督のコントロールが効かないところに映画が行っている感じを受けた」とも言ってくれた。

――先行上映会などでの反応はいかがでしたか。

池谷監督 とても嬉しいことが起こった。若者たちからの反応がすこぶる良い。共感し、驚いてくれる。我慢のできないところから立ち上がってデモを行うチベット人を見た学生からは、「俺たちは何をやっているのだろう」というコメントをもらった。そういう風に感じてくれる若者がいるということから、希望を感じることができる。

――とても嬉しい反応ですね。

池谷監督 嬉しいさ。とても素直に届いているなと思った。

――次回作は決まっていますか?また、今題材としたい情勢などはありますか?

池谷監督 僕は、やはり「出会い」を大切にする監督。気になる題材があったとしても、そこに「出会い」がなければ撮れない。

「ルンタ」―6.jpg――最後の質問です。このような危険を冒してまで映画を撮る理由を教えて下さい。

池谷監督 亡命政府も言っているが、「焼身」は数の問題ではない。140以上という数があるけれども、そこには1人1人のドラマがある。そこに想いを巡らせないと、どんどん風化してしまう。風化するとは、なかったことになってしまうこと。想いを巡らせても、最終的には、どうして人が自分の身体に火を放つのかは分からない。大事なのは、それがどうしてなのか、理由が分からなくとも、想うということだ。だから、映画を撮る。

――ありがとうございました。『ルンタ』が多くの人に伝わることを願います。(了)

 

 

池谷薫監督.jpg池谷薫監督 

1958年、東京生まれ。同志社大学卒業後、数多くのテレビ・ドキュメンタリーを演出。初の劇場公開作品となった『延安の娘』(2002年)は、文化大革命に翻弄された父娘の再会を描き、ベルリン国際映画祭など世界30数カ国で絶賛され、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー映画賞、ワン・ワールド国際人権映画祭ヴァーツラフ・ハベル特別賞ほか多数受賞。2作目の『蟻の兵隊』(2005年)は中国残留日本兵の悲劇を描き、記録的なロングランヒットとなる。3作目の『先祖になる』(2012年)は、東日本大震災で息子を失った木こりの老人が家を再建するまでを追い、ベルリン国際映画祭エキュメニカル賞特別賞、香港国際映画祭ファイアーバード賞(グランプリ)、文化庁映画賞大賞、日本カトリック映画賞を受賞。2008年から2013年まで立教大学現代心理学部映像身体学科の特任教授を務め、卒業制作としてプロデュースした『ちづる』(2011年・赤崎正和監督)は全国規模の劇場公開を果たす。著書に『蟻の兵隊 日本兵2600人山西省残留の真相』(2007年・新潮社)、『人間を撮る ドキュメンタリーがうまれる瞬間』(2008年・平凡社・日本エッセイスト・クラブ賞受賞)など。

 

「ルンタ」サブ1-1.jpg中原一博氏

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学第一文学部仏文学科及び理工学部建築学科卒業。インド北部のラダックを旅行中、チベット仏教建築に魅せられ卒業論文のテーマにしたのがきっかけで、チベット亡命政府と運命的な出会いを果たす。1985年、専属の建築家として家族とともにダラムサラに移住。亡命政府の庁舎や僧院、学校など、数多くの建築物の設計を手がける。代表作の「ノルブリンカ・インスティテュート」は慈悲の象徴である千手観音を全体のプランに用い、完成までに9年の歳月を費やした。1997年、NGO「ルンタプロジェクト」を発足。チベット本土でデモを行い、刑務所で拷問を受けた後、インドに逃れた元政治犯の支援を開始し、自ら資金を集め設計したルンタハウスで彼らの学習・就労支援を行う。2008年、チベット全土に抗議活動が広がると「チベットNOW@ルンタ」のサイトを立ち上げ、ブロガーとしてチベット人の非暴力の闘いを連日のように発信。翌2009年に焼身抗議が始まってからは全ての焼身者の詳細なリポートを送り続けている。 ブログ「チベットNOW@ルンタ」:http://blog.livedoor.jp/rftibet/




『ルンタ』
http://lung-ta.net/

7月18日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開。

監督:池谷薫/製作:権洋子/撮影:福居正治/音響構成:渡辺丈彦/編集:新津伊織/HD編集:椿学/製作・配給:ユニバース/宣伝プロデューサー:市川篤/宣伝:VALERIA/2015年/日本/カラー/DCP/111分/16:9/5.1ch/日本語・チベット語/(C)Ren Universe2015



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