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初夏日比谷公開決定、奥山大史監督『僕はイエス様が嫌い』

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初夏日比谷公開決定、奥山大史監督『僕はイエス様が嫌い』

2019年02月15日
奥山大史監督.JPG
奥山大史監督

 昨年、22歳の新鋭・奥山大史監督『僕はイエス様が嫌い』がサン・セバスチャン国際映画祭最優秀新人監督賞を受賞した。同映画祭史最年少の受賞であるとともに、その名を世界に知らしめた今作が青山学院大学の卒業制作として撮りあげた長編初監督作品であるというから驚きだ。サン・セバスチャンの後もクエンティン・タランティーノ、ラース・フォン・トリアーらを輩出している、新人発掘に定評のストックホルム国際映画祭コンペティション部門で最優秀撮影賞、新興のマカオ国際映画祭コンペティション部門でスペシャル・メンションを受賞するなど弾みをつけている。海外セールスには日活が付き、担当者によれば「複数の国際映画祭で受賞し、既にフランス・スペイン・韓国での配給が決定している。色々な作品を扱っているが、卒業制作映画がここまでの広がりを見せるのは前代未聞。2月のヨーロピアン・フィルム・マーケット(昨年11月取材時)、3月の香港フィルマートでのセールスも期待が膨らむ」と好調だ。日本プレミアは東京フィルメックスで行い、文字通りアジアの注目監督として名を連ねる。国際映画祭の受賞から話題を呼び、自然と良質なパブが出ている現状であるが、今年の劇場公開にも期待がかかる。大学卒業後、広告会社に就職した奥山監督。今後の活動、経歴、初長編監督作品に懸けた想いを聞いた。



◆『僕はイエス様が嫌い』
 イエス・キリストの存在を疑い、一方では信じてみようと試みながら、小学生ユラが成長していく物語。あらすじは、「東京から雪深い地方の小学校に転校してきたユラは、新しい同級生と行う礼拝に戸惑いを感じつつも、次第に慣れていく。ある日、お祈りをしていると目の前にとても小さなイエス様が現れる――」。
 テーマは人間の生と死。劇中でユラはある事件をきっかけに、小さなイエス様に奇跡を願い始める。奥山監督の実体験がベースとなった完全オリジナル脚本で、末尾では「この映画を若くして亡くなった友に捧ぐ」としている。カメラマンを担当したのも奥山監督であり、実体験であるがゆえに、あえて一歩引いた距離感でユラたちを捉える、ワンシーン/ワンカットの手法が特徴だ。
 降り積もった雪に付いたままの足跡や、亡くなったユラの祖父が開けた障子の穴、食卓の祖父の空席、誰かが乗った後に揺れたままのブランコ。かつて誰かがそこに確かにいたという痕跡を切り取りながら、ユラの眼を通して宗教とは何か、信じることとは何かを問いかける。
 その語り口はけして重苦しくはなく、ユーモアを交えて軽快さを感じる場面もある。とりわけ、小さなイエス様をユーモアたっぷりに描いており、カトリックの本場であるスペインのサン・セバスチャンでも小さなイエス様が登場するたびに笑いが起きたという。
 『僕はイエス様が嫌い』が、巷に溢れるインディペンデント映画と一線を画しているのは、プライベートな出来事を描くことに収まらず、多くの人にとっての物語とする徹底した脚本づくり、キャスティングを含めた子役への演出と観察力だ。日本劇場公開は、2019年初夏、ショウゲート配給でTOHOシネマズ日比谷他全国順次ロードショーされる。



●是枝裕和監督に教わる

――映画監督の道を志したのは、いつ頃ですか。
奥山監督 最初に興味があったのは演劇の世界です。中学3年生の頃、大人計画の「ふくすけ」という舞台に出会い、阿部サダヲさんがふくすけという奇形児の役を演じていて、「何てエネルギーに満ちているんだ」と衝撃を受けました。高校に入ってからの3年間は、TRASHMASTERSという劇団の手伝いをしていました。ただ、ずっと劇団の手伝いをしていると、演劇が持つ制限性のようなものを感じてしまい、つまり、場面転換の数で描ける世界が決まり、ハコの大きさや席数で観客の数が決まってしまいます。映画であれば…、といつ頃からか感じ始め、だんだんと映画に興味が傾いていきました。

――映画をどこで学びましたか。
奥山監督 一つは青山学院大学とダブルスクールで通っていた映画美学校です。助監督の立場から映画を作ることの難しさ、厳しさを知りました。自分が映画でやりたいことは一体何かということを必死に模索しました。もう一つは、映画美学校で是枝裕和監督の特別講座があり、これがキッカケで是枝さんが早稲田大学で担当しているゼミに潜るようになったのです。2年間通いました。

――早稲田のゼミでは何をしましたか。
奥山監督 美学校でも早稲田のゼミでも一緒だった城真也さんの監督作品の撮影を担当しました。映画監督を志すならば映画制作の根幹部分のカメラを知らなければいけないなという想いから、その後も数本の作品にカメラマンとして携わりました。映画作品では、松本花奈監督『過ぎて行け、延滞10代』や、小川紗良監督『最期の星』の撮影監督を手掛けました。その他、ロフトや、GUのCMのカメラマンもやらせてもらいました。

――撮影の面で、是枝監督の早稲田のゼミで印象に残っていることや、『僕はイエス様が嫌い』に生きている教えはありますか。
奥山監督 是枝監督が、ワンシーン/ワンカットを撮りたいならば、それぞれのカットの最初と最後で登場人物の関係か、感情か、立ち位置のどれかが動いていなければ成立しないよと仰っていて、すごく共感しましたし、『僕はイエス様が嫌い』を撮っている時に、頭の中によく浮かんできた言葉です。理想はその全てを動かすことです。動かすならば、そこには必ず意味がないといけませんが。

●〝あえてセリフは最小限に〟

――実体験を映画にするうえで気を付けたことは。
奥山監督 「僕の実体験を観て下さい」という考え方では描ける世界も狭くなりますし、良くないなと。脚本段階でとくに意識したのは、とにかく画になるようにすることです。実体験をただ映像化するわけではなく、観客に楽しんでもらえるように工夫しました。撮影では、全編を通してワンシーン/ワンカットで撮りたかったのですが、そればかりだと役者の表情が撮りにくいという問題もあったので、表情に寄れるカットを足すなど距離を取りすぎないように調整しました。

――脚本づくりは、むしろ実体験であるからこそ難しいものだったのでは。
奥山監督 はい。僕は小学5年生の頃、ユラと似た経験をしています。脚本づくりでは迷った時期もありました。何となくこういう話にしようというのは、撮影の1年前にできていました。A4/1枚にプロットを書いてある程度のものでした。主人公ユラの年齢は、実体験にあわせて、できれば小学5~6年生に設定したいと思い描いていましたが、それだとあまりに会話や人間関係が稚拙になってしまうのかなという疑問もありました。そこで母校の小学校に1週間通わせてもらい、まずは実際の小学生を知ることから始めました。すると、彼らは結構大人な会話をしているということが分かりました。それから撮影に入るまで脚本を書き進めていき、現場でセリフを足したり、アドリブを重ねたりしながら脚本を固めていきました。また、子役中心の物語を撮るにあたり、セリフはあえて最小限しか書かず、子役たちに任せました。ユラとユラの友だちが会話をしながらサッカーをするシーンがありますが、実はあのシーンの脚本にはセリフを全く書いておらず、ただ「サッカーをする」とだけでした。


ユラ役の佐藤結良君.jpg
ユラ役の佐藤結良君


●ロボットで遊ぶオーディション

――ユラ役の佐藤結良君は独特の雰囲気を持っていて、堂々とした演技でした。オーディションで意識したことは。
奥山監督 例えば、先ほどの「サッカーをする」シーンのように脚本にセリフが書いていなくても、そのことに耐えられる子を探しました。耐えられるというのは、ただ黙ってしまったり、撮られているということを意識したりしない子。黙ったとしても、それが画になる子です。オーディションは、一人ずつロボットでひたすら遊ばせて、その様子を僕たちがカメラで撮るという方法で行いました。ロボットで遊びながら、喋りたくなければ喋らなくても良いし、喋りたかったら喋っても良いというルールです。こちらはカメラで寄ったり、引いたりしますが、大体の子はカメラを意識して、「まだ撮るのかな」とチラッとこちらを向いてしまいます。撮ったものをチェックすると、本当にずっと観ていられる子か、もういいやと飛ばしてしまう子の2パターンでした。結良君の場合、理由は分からないけれど、ずっと観ていられましたし、彼は小さな声でぼそぼそと何かを喋っていて、かつ、あまりマイクに届けようとは考えていない、その雰囲気がとても良いなと思い、彼にお願いしました。彼をキャスティングしたことは、サン・セバスチャンの観客の反応を見ても、間違ってなかったと確信していますし、受賞できたのは彼のおかげだと思っています。

――宗教/死生観のテーマを選んだ理由は。
奥山監督 これも僕の実体験がもととなっていて、僕はキリスト教の幼稚園に編入した経験があります。その幼稚園ではお昼過ぎになると、みんなが嬉しそうにはなれの教会に走って行き、嬉しそうに聖句を大声で唱えていました。それまでこうした光景に出会ったことがなかった僕は、正直引いてしまった。これは、どういうことが起きているのだろうと、最初は馴染めませんでした。しかし、不思議なことに数週間もすれば、自分も笑顔でみんなと同じことをしていました。今振り返れば、大きな声でみんなと同じことを言う、ということが純粋に楽しかっただけとも思いますが、宗教はよくできていて、幼い頃に一度それを経験すると、神の存在を信じるようになります。また、宗教には代表的なものが3つありますが、それらは全て死後の世界観が違います。僕は、宗教は死後の世界をのぞき見したいという欲求からできたものだと考えています。詳しくは言えませんが、『僕はイエス様が嫌い』でもユラが成長していくなかで死後の世界に触れる場面があります。

●〝お礼を言いたい人が多い〟

――話をサン・セバスチャンに移します。出品の経緯を教えて下さい。
奥山監督 もともとサン・セバスチャンには観客として行きたいと思っていました。カンヌなどを経て参加する映画人が多いので、ある意味リラックスムードで、本当に映画を愛している映画人が来る映画祭として純粋に楽しめるという話を聞いていた為です。今回の出品には、日本映画を海外に紹介している、川喜多記念映画文化財団の坂野ゆかさんに相談し、御協力いただきました。坂野さんには以前、僕が監督した大竹しのぶさん主演の短編映画を釜山国際映画祭に出品した際にもお世話になっています。『僕はイエス様が嫌い』を坂野さんに相談したタイミングには、もうすでに締め切りが迫っていました。訪日するサン・セバスチャンの選考者に観てもらうリミットまでに、ある程度観れるレベルまでに編集すること、英語字幕を付けること、この2つの課題をクリアするために本当に多くの人にお世話になりました。猛スピードで編集を終わらせて、英語字幕はイエス様役で出演しているチャド・マレーンさんに作ってもらい、音楽は完成していなかったので仮で付けました。デモ版ができあがったのが、選考者が帰ってしまう日。会社を途中で抜けて川喜多に着くなり坂野さんを通してすぐに渡しました。とにかく渡すことができたので、選考に通る・通らないとかではなくて、僕たちの名前を知ってもらうだけでもOKという満足感すらありました。すると、その日の夕方に坂野さんから、「すごく気に入ってらっしゃいましたよ。イエス様が登場するたびに笑ってらっしゃいましたよ」と御電話がありました。驚いたし、とても嬉しかった。そこから出品が決まるまでは早く、2週間後には招待状が届きました。

――出品が決まってから、完成のマスター版を提出するまでにどれぐらいの時間があったのでしょうか。
奥山監督 2か月半ほどありました。会社が終われば編集作業をし、土日は音楽を作る作業、ととても慌ただしかったため、この期間を短く感じました。また、出品が決まった後の仕上げ作業だったので小さなことでも見逃せなくなり、こだわりました。とくに、イエス様の合成にはこだわりました。本当にその場にいるように見せたかったためです。通常は画が確定してからの字幕作業ですが、今回はチャドさんに画が変わるたびに字幕を変えていただきました。こうした理由から、ポスプロ費がかさみ、撮影費と同じぐらいかかりました。製作費は全体で500万円ですが、学生の特権を使い、無料にしてもらったところがかなりありますから、今の会社員の身で同じものを撮ると3倍はかかったはずです。お礼を言いたい人が本当に多くいます。


小さなイエス様で紙相撲するユラ.jpg
小さなイエス様で紙相撲するユラ


●〝今出し切れるものを〟と次作へ

――実際にサン・セバスチャンで上映した感想は。
奥山監督 驚いたのは、街中で積極的に話しかけてもらえることです。その中で、若い現地の女性から「どうしてあなたは日本人なのに、私たちカトリック教徒の気持ちが分かるの」と質問を受けました。つまり、ユラのように絶対的な存在であるイエス様を疑う、という経験はカトリックの国でも必ず誰もがしているというのです。また、彼女は「私たちにはイエス様という存在が身近にあるから、こうした経験をすると考えていたけれど、あなたたちも同じなのね」と。そう言われた時、当初カトリックの国でこういう内容の映画を上映して良いものか不安だった自分が馬鹿馬鹿しく思え、不要な心配だったのだなと知りました。彼女のおかげで『僕はイエス様が嫌い』は、カトリックの彼らにとっても核となる部分をちゃんと突いていると、今は自信を持って言えます。まったくの偶然ですが、最初に出品したのがサン・セバスチャンで良かったなと感じています。運命的なものを感じていて、どうにかもう一度参加したい。

――今、奥山監督は広告会社の会社員ですが、今後も映画を撮り続けますか。
奥山監督 はい。映画監督の活動に関しては、会社員と両立したい考えです。サン・セバスチャンでの受賞をきっかけに、テレビドラマやミュージックビデオを撮りませんかというオファーが少しずつ出てきていますが、次もオリジナル脚本の長編映画を撮りたいと考えています。カンヌも含めて国際映画祭の若手監督部門のコンペには、長編2作目までという制限付きのところが多く、僕にとって、若手監督としては次がラストチャンスで、今出し切れるものを全て出し切ることに集中したい。長いスパンの将来は、その時に見えた景色から考えます。現在は、『僕はイエス様が嫌い』をきちんと国内で展開させる、どれぐらいの可能性があるのかを知るという活動を行っていますが、これらの活動のためにも、次回作を撮るためにも会社員としての生活も必要です。次回作の構想は、まだ固まっていませんが、被写体は少年・少女を撮り続けていくつもりです。近未来を描いてみたいなと考えてもいます。

――自主制作映画である『僕はイエス様が嫌い』がTOHOシネマズ日比谷公開されることに対する想いは。
奥山監督
TOHOシネマズで!それも日比谷で!という喜びは確かにあります。手伝って下さった方々への恩返しにもなるのではと思っています。それと同時に大丈夫かなという不安もあり、この劇場のグレードに足る宣伝がとても重要だと考えています。限られた宣伝費の中で、何にお金をかけていくべきなのかを勉強しながら、宣伝プロデューサーと力を合わせて進行中です。

――ショウゲートに配給が決まった経緯は。
奥山監督
ショウゲートは『桐島、部活やめるってよ』『横道世之介』など、これまでの配給作品に大好きなものが多く、憧れのような気持ちからショウゲートに引き受けていただきたいと考えました。ただ、そういった時のアプローチの仕方がわからず、思い切って村田嘉邦社長に直接メールをお送りしたところ、本作を観てくださり、配給を引き受けてくださいました。

――本日はありがとうございました。今後の活躍、『僕はイエス様が嫌い』のさらなる展開に期待しています。
取材・文・構成 映画部記者 島村卓弥


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