閲覧中のページ:トップ > 文化通信バラエティ > インタビュー >

“おちんちんがハレちゃった馬の数奇な運命”『祭の馬』松林要樹監督

インタビュー

最新記事

“おちんちんがハレちゃった馬の数奇な運命”『祭の馬』松林要樹監督

2013年12月02日

『祭の馬』松林監督.jpg



「ワケあって おちんちんがハレちゃった或る馬の、数奇な運命。」


 この強烈なキャッチコピーが目を引くドキュメンタリー映画『祭の馬』が、12月14日(土)よりシアター・イメージフォーラムで公開される。

 福島県南相馬市。ここで余生を送っていた元競走馬のミラーズクエストは、11年3月11日、津波に襲われる。奇跡的に生還するものの、けがをした“おちんちん”にはばい菌が入り、大きくハレたまま元に戻らなくなってしまう。

 その後、ミラーズクエストら被災した馬たちは相馬から北海道日高へ、そして伝統行事「野馬追」が行われる夏の相馬に戻る。カメラは、約1年半に渡って彼らの旅を追いかけ、とんでもない時代に生まれてしまったミラーズクエストたちの運命を映し出す。

 監督は『花と兵隊』の松林要樹(=上写真)。松林監督は、震災直後の人々の様子を捉えた『相馬看花 第一部 奪われた土地の記憶』を12年5月に公開。『祭の馬』はその第二部に位置づけており、長期取材を敢行した上で完成させた。物言わぬ馬たちに寄り添うことで見えてきたものとは。松林監督に聞いた――





「見捨ててしまった」後悔

『祭の馬』1.jpg――初めてミラーズクエストらに出会った時に、まずどのような印象を持ちましたか。

松林 どう触れていいかわからなかったですね…。『相馬看花』の主人公である、市議会委員の田中京子さんに同行して、11年4月3日に初めて馬小屋に行き、馬が放置されているのを目の当たりにしました。大変なことが起きていると思いましたね。この状況は東京新聞にかけあって記事にしたのですが、その後もずっと気になっていました。「エサをやれなかった」「見捨ててしまった」という後悔があったのです。

――馬主さんはどうしていたのですか。

松林 馬主の田中信一郎さんは、国から避難命令が出ていて、馬を置いて行かざるを得なかったのです。私たちが馬小屋に訪れた頃、田中さんもようやく戻れたのですが、所有していた38頭のうち、避難中に7頭が飢えで死に、続いて2頭が死んでしまいました。

――初めて見た時から、馬を撮ろうと決めたのですか。

松林 その時はまだ思わなかったです。本格的に撮ろうと思ったのは、馬たちが5月に避難所(南相馬市馬事公苑)に移動したあたりからですね。ここに会いに行った時に決心しました。

――馬主の田中さんと出会った時にはどのような印象でしたか。

松林 ちょっと近寄りがたいイメージでした。実際に馬が死んでいるわけで、神経質になっていましたね。

『祭の馬』2.jpg――この映画は、普段表に出てこない馬肉産業の一面も捉えています。その業者である田中さんは、取材に対してオープンな姿勢だったのでしょうか。

松林 いえ、取材はさせてもらえましたが、決して積極的に受けてくれたわけではありません。実際、他にも取材依頼があったようですが、全て断られていましたから。なぜ自分だけ取材させてもらえたのかはわかりませんが、震災発生から早い段階で現地に赴いたので、そこを汲んでくれたのかもしれません。「しょうがねえな」という感じじゃないでしょうか。

――どのくらいの期間、取材されたのですか。

松林 映画の公開と同時期に発行する本『馬喰』(河出書房新社刊)の取材も含めて、震災から2年6ヵ月ほどです。

――映画の前半は、原発事故や馬肉産業を見つめた社会派作品のイメージでしたが、中盤からは馬の姿を追った美しい映像にがらりと変わりました。何か取材中に心境の変化があったのですか。

松林 最初は確かに社会派ドキュメンタリーを目指したのですが、馬という特殊な業界を題材にする中で、映像にするのが大変だなと思うようになったのです。これは映像ではなく、原稿の方がしっかり人に伝わるなと感じました。そこで、馬肉産業については本の「馬喰」で書き、映画は馬そのものに専念することに決めました。


馬の美しさに気づいた

『祭の馬』6.jpg――映像が進むにつれ、馬に愛情が湧いて来ていることを感じたのですが。

松林 実はそれが1番大きいかもしれません。馬の美しさに気づいたのです。映像には出てきませんが、私も取材中、馬のボロ(馬糞)出しの手伝いをしていました。それを2ヵ月くらい続けるうちに、馬の性格や個性がわかるようになってきて、馬を追いかけるのが面白くなったのです。馬は表情が豊か。動きや表情だけで、人間よりも感情がわかるのです。それを知ったあたりからですね、馬の映像中心で行こうと思ったのは。この映画の尺は74分なのですが、最初は馬の映像だけで2時間半くらいありました。プロデューサーの橋本(佳子)さんと「半分の長さにしよう」と話してこの長さになりましたが(笑)。そこで、どの馬に焦点を当てようか?となった時、やはり「ミラーズクエストしかいない!」となりました。ほかにも愛嬌のある馬はいたんですけどね。

――ミラーズクエストの「おちんちん」の腫れを見た時はいかがでしたか。

松林 衝撃的でした。他人事じゃないくらい。車で帰っている時、「排尿する際は痛いだろうな」と想像して、前かがみになって座っていました(苦笑)。

――たくさん馬がいましたが、ミラーズクエストのことをよく撮っていたのですか。

松林 一番のお気に入りなので。性格が良いやつなんです。でも、実は(11年の)7月くらいまではあの馬が「ミラーズクエスト」という名前であることはわからなかったのです。

『祭の馬』3.jpg――どういうことですか。

松林 馬の情報が書かれた健康手帳が、津波で流されてしまったのです。田中さんは仕事柄、情が移らないように馬に名前をつけません。ですから、健康手帳がないと馬の名前がわからないのです。ところが、07年に生まれた馬から、マイクロチップが体に埋め込まれていて、それでどの馬か認識ができるようになっているのです。ミラーズクエストにはマイクロチップが埋め込まれていたので、後に名前が判明しました。

――名前がわからないのは切ないですね。この映画を観ると、原発事故の有無に限らず、馬は人間に運命を握られていることを感じますが、その点はどう考えますか。

松林 人間に翻弄されていますよね。労働でこき使われたり…。以前、太平洋戦争のドキュメンタリー映画『花と兵隊』を撮った時に色々調べたのですが、あの時はだいたい50万頭くらいが微発されて、そのうちの1頭も日本の土を踏んでいないんです。インパール作戦に参加した馬はみんな餓死。兵隊は馬の肉を食べていたと聞いていて、考えさせられました。

――そうやって人間に翻弄されている馬に対して、今回どういった目線でカメラを向けていたのですか。

松林 馬は自分の言語や文字を持たないので、もし持ったら人間に対してどう反応するのかなと思いましたね…。ただ、人間は馬に対して夢を託している部分があると思います。競馬や乗馬、ホースセラピーがあり、自分も馬に癒されたなという思いがあります。牛や豚に関しては「可哀想だから屠畜はやめて」という声はないのに、馬肉の場合は業者に「馬を殺さないで」と電話があるそうなんです。そこは、人間の馬に対する特別な思いが表れていますよね。


観客もクリエイターになって

――先ほど話に出た、本の「馬喰」のことも伺いたいのですが、これはどういった内容ですか。

松林 映画は馬を追っていますが、本は人間の方を描いています。馬喰の田中さんの目から見た野馬追や、実際に屠場に訪れて馬肉産業を取材しましたし、今まで本や資料にはあまり載っていない馬の業界の一面に迫っています。もしかしてまずいかな、と思うところも書いているのでドキドキしています(笑)

松林監督.jpg――『祭の馬』とは作品的に全然違うようですね。

松林 映画では、人間を捉えるのは前半だけで、後半は馬の表情や動きに切り替わっていますから。

――震災後、11年7月に初めてミラーズクエストが馬房から出て、削蹄(爪切り)、体洗い、運動しているシーンは解放感があって印象的でした。

松林 撮影している自分も気持ちが良くて。そういう風に見てもらえると嬉しいですね。あのシーンは特に、馬を綺麗に撮りたいなと思いました。

――ところで、ミラーズクエストはまだ生きているのですか。

松林 生きています。去勢はしましたが。あの馬たちは、色々なところに譲渡されていっているようです。最近は鹿児島に2頭行ったと聞きましたし、田中さんのところで野馬追用に飼っている馬は、ミラーズクエストを含めてまだ5~6頭いると思います。

――最後に、この映画を観る人にメッセージをお願いします。

松林 パズルでいうと、この映画にはピースが1個足りないんです。かなりそぎ落とし、ダイエットしている映画なので、不足している部分があるのです。何を語っているのかも説明していないので、ご覧になる方の想像で、残りの部分を埋めてほしいと思います。観る人もクリエイターになって映画を楽しんでください。 了


画像:(c) 2013記録映画『祭の馬』製作委員会



取材/文・構成:平池 由典



過去のタイトル一覧

2024年

2月│ 3月

2023年

3月│ 5月│ 7月│ 9月│ 10月│ 12月

2022年

3月│ 4月│ 7月│ 8月│ 10月│ 12月

2021年

1月│ 2月│ 3月│ 4月│ 6月│ 8月│ 9月│ 10月│ 11月

2020年

2月│ 4月│ 5月│ 10月│ 11月│ 12月

2019年

2月│ 7月│ 12月

2018年

1月│ 3月│ 4月│ 5月│ 6月│ 9月│ 11月

2017年

2月│ 4月│ 10月

2016年

2月│ 3月│ 5月│ 9月│ 11月

2015年

1月│ 2月│ 6月│ 7月│ 9月│ 10月│ 12月

2014年

1月│ 2月│ 3月│ 4月│ 5月│ 6月│ 7月│ 9月│ 10月│ 11月│ 12月

2013年

2月│ 3月│ 4月│ 5月│ 6月│ 7月│ 8月│ 9月│ 10月│ 11月│ 12月

2012年

1月│ 2月│ 3月│ 4月│ 6月│ 7月│ 8月│ 9月│ 10月│ 11月│ 12月

2011年

1月│ 2月│ 4月│ 6月│ 7月│ 8月│ 9月│ 10月│ 11月│ 12月

2010年

1月│ 2月│ 3月│ 5月│ 6月│ 7月│ 8月│ 9月│ 10月│ 12月

2009年

1月│ 2月│ 3月│ 4月│ 5月│ 6月│ 7月│ 9月│ 10月│ 12月

2008年

1月│ 3月│ 4月│ 5月│ 6月│ 7月│ 8月│ 9月│ 10月│ 11月│ 12月

2007年

2月│ 3月│ 4月│ 5月│ 7月│ 8月│ 10月│ 11月│ 12月

2006年

4月│ 5月│ 6月│ 8月│ 9月│ 10月│ 11月│ 12月