(9月4日更新)
「脚本家と原作と著作権の不思議な関係」
※左から西岡氏、坂上氏、佐藤氏、中村氏、石飛氏、荒井氏、山田氏、柏原氏
第3部シンポジウムでの各氏の発言は概要以下の通り。
坂上氏は、「『やわらかい生活』は、私には作れない映画。今回の裁判の結果については腹の虫が収まらない。そもそも原作者はなぜ映画化を拒否しなかったのか。こういう難しい問題は、角川春樹さんだったら簡単に解決してしまう(笑)」
佐藤氏(写真右)は、「最近はメジャー作品ばかり作っているので、こういう作品を羨ましいと思っていた。原作ものをやる時にこれまでモメたことはあまりないが、やはりモノ作りは大変だなと。シナリオ作家協会と脚本を手掛けた荒井さんが原告では勝てないのではないかと思ってはいた。やはり制作会社が訴えを起こす方がいい」
中村氏は、「原作者(伊坂幸太郎)と仲のいい監督ということで呼ばれたようだが、今回の裁判の推移をみるとちょっと無理だったのかなと。そもそもプロデューサーさんはどうしてしまったのか・・・」
著作権というものが肥大化しているのではないか石飛氏(写真左)は、「受け手、消費者側の立場で出席させてもらったが、著作権というものが肥大化しているのではないかと感じている。文化を保護するために作られた権利だと思うが、おかしくなってきていると思うので是正した方がいい」
山田氏は、「不当に原著作者の権利を重視し、原著作物と二次的著作物たる脚本の表現や内容に対する『単なる主観的不満』までも、原著作者の権利行使の理由として容認されると考えた裁判所の判断はいかがなものか」とし、類似する過去の例として「キャンディ・キャンディ事件」や今年6月にNHKが民事訴訟提起した「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」などをあげた。
坂上氏(写真右)は、「映画製作にはお金がかかる。10年前までは映画会社が単独で作っていたが、今は製作委員会方式で、プロデューサーは出資者にお願いする立場で弱い。オリジナル作品も作られなくなっている。かつては原作者と直接映画化の交渉ができたが、今は出版社に専用の部署が出来て、出版社がプロデューサーを選ぶ立場にあり、プロデューサーは奴隷になってしまう。我々は“商品”として映画を作ってきているが、『やわらかい生活』は“作品”として作っている。私だったら荒井さんのところに脚本の依頼は持っていかない(笑)。しかし、かつての原作者だったら一緒にお酒を飲んで解決していたと思う」
佐藤氏は、「今回の映画はお金集めが大変だったと思う。そういった意味で企画を実現させることがプロデューサーの一番のファクターになっていたのではないか。プロデューサーというものは、どうしても強くて大きなものについていく。ただ、企画の大小は関係なく、個性と個性が出て、いいものが生まれる」
中村氏(写真左)は、「僕だってモメたりもしている。ただ、本当に好きな小説家としかやっていないだけ。それでもいつも脚本はチェックされる」
石飛氏は、「日本映画の多様性として、オリジナルものと原作もののバランスが取れていた方が健全だと思う。ただ、原作のままだと、オリジナルものを観る時のような驚きは少ない」
西岡氏は、「もちろん、我々脚本家もオリジナル脚本を作れる技術をあげていかなくてはいけない。脚本家自身に問題もある」とした。
もう一回、“映画力”を上げていかなければいけない坂上氏は、「最近は“映画力”が下がってきていると思う。年間450本近くの日本映画が作られているが、大きく公開できているのは150本くらいで、その内ペイできているのは30本くらいではないか。その為に、作り手がお客さんの方ばかりを見て映画を作っている。原作を超そうというエネルギー、そういう作り手が少なくなった。もう一回、“映画力”を上げてモノを作っていかなければいけない」
荒井氏(写真右)は、「つまらない原作を面白く、面白い原作をさらに面白い映画にしようと思っているだけなのに、原作者は脚本に赤を入れてくる。それで面白くなればいいが、監督たちも変わってきているように思う。先ほど、プロデューサーは何をしていたのかという質問が出たが、プロデューサーも監督も一回も裁判所には来なかった」
山田氏は、「脚本家は権利を行使できないのか? 今回、契約書には明確に明記されていなかった。脚本家が契約することもできないことはない」
柏原氏(写真左)は、「映画制作におけるスタジオシステムの崩壊の影響もあると思う」
佐藤氏は、「テレビドラマでも脚本家のイメージが下がってきており、役者が客を呼べなくなってきている」
坂上氏は、「最近は、ベストセラーの原作者が脚本に参加することも増えている」
などといった意見が活発に交わされ、プロデューサー、監督、映画評論家、脚本家、弁護士、それぞれの立場で、今回の裁判に関連する問題については捉え方が異なる部分も判明した。
著作権、二次的著作物といったものをどう捉えるのか。この問題は、法的な問題だけでなく、現在の日本映画界の構造的な問題点もあぶり出しているようで興味深いシンポジウムとなった。
しかし、いずれにしても脚本家を含めた作り手の待遇、環境は依然改善されておらず、クリエイターの生活環境の余裕のなさが作品作りに影響を及ぼしている面も否めないのではないか。
一部の大ヒット作(商品)に関わった者たちだけでなく、“作品”を作り続ける作り手にもどう業界の利益を還元し、次の作品につなげていくのか。
今回の裁判の問題を含め、臭いものには蓋をして、見てみないふりをしていては、日本映画界に明るい未来はないように思う。(了)