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邦画3社 社長座談会〔前編〕

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邦画3社 社長座談会〔前編〕

2012年12月30日
「日本映画界の現状と展望」

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 文化通信社は2012年4月1日で創立60周年を迎えました。今回特集号を発行するに当たり、邦画3社の迫本淳一 松竹㈱代表取締役社長、島谷能成 東宝㈱代表取締役社長、岡田裕介 東映㈱代表取締役社長にご出席いただき、「日本映画界の現状と展望」と題した座談会を行いました。
 ここ数年、日本映画界は中小配給会社や製作会社の倒産、映画館の閉館など全体としては厳しい状況となっていますが、それぞれの社長という立場を離れ大所高所にたった忌憚のない意見を語っていただきました。




 ―本日はありがとうございます。邦画3社には本当にいつもお世話になっております。弊社が60周年ということでいろいろな企画があったのですけれど、その中で邦画3社の座談会というのをやってみてはどうかという声が若手記者の方から上がって来まして、今までやったことのないことですから、皆さまのご意見をお聞きしつつ、弊社60周年ということも兼ね合わせながら、お話いただいてはどうかということになった次第です。
 最初に岡田裕介さんから、文化通信の前オーナー鈴木(信治郎)からいろいろと根掘り葉掘り聞かれたのではないかと思いますが、そのころの思い出か何かは。

岡田P-8.jpg岡田(写真左)
 それはぜんぜん聞いてないんだよ、僕は。僕の親父と鈴木さんとはしょっちゅう映画論議をやったり、時々ケンカしたりしてたみたいだけど、非常に長い間おつき合いいただいて。僕はゴルフをやったり、そういう感じで長くつき合わせてもらったけど、あまり映画がどうのこうのってのは抜きで――あの人は時々理屈っぽくなる時もあるから、本当の意味で仲よくさせていただいたので、今こうやって悪口も言っていられるけど。本当に映画が好きな人で、こうなんじゃないか、ああなんじゃないかと、邦画にいろいろ苦言を呈していた、いい人だったですよね。それが思い出で。本当のおつき合いがあったのは、うちの親父の方だと思うのですね。僕は今急に言われると、遊んでばっかりいたという感じがします(笑)。


 ―しかし、かなり岡田社長にもインタビューされていますよ。

岡田
 インタビューはしょっちゅう受けていました。それはもう何回もインタビューしてもらっていて。最後ちょっと具合がお悪くなった時も、もう一回頑張れということで、何人かのほかの方たちを集めて。鈴木さんはその日、「あまり具合悪いなら、無理しないで出て来なくていいよ」と言ったのに出て来られて、一緒にご飯を食べて、「もうちょっと頑張ろうや」という話をしたのが、お元気な時の最後かなという印象ですね。


 ―島谷さんはいかがですか。もうかなり前から――宣伝部時代ですか。

島谷
 そうですね、宣伝部で僕が現場をやっていたころに、当時の宣伝部長、そのあと東宝芸能の副社長になられた林醇一さんと、仲がよかったですね。毎日ご飯を食べていました。


 ―毎日ぐらいですか。

岡田
 林さん、ご飯食べてたの(笑)。


 ―うちの鈴木は酒は飲まなかったので、たぶん普通の食事だったのではないでしょうか。

島谷P-15.jpg島谷(写真右)
 岡田社長とぜんぜん違って、僕らは本当に現場の一兵卒だったころに、当時の林宣伝部長とか堀内(實三元東宝専務)さんとか瀬戸(勇元東宝常務)さんとか、うちの幹部と本当によく話をされていて。僕らにはもうとにかく激励だったですね、「お前たちがもっと頑張らなければいけない」という。だから、会うといつも激烈にアジテーションされている感じなんですよ。ものすごい元気のある人でしたね。年はもう圧倒的に上なんだけど。最後までそうだったんじゃないですか。でも、お元気でしたよね、前向きで。叱咤激励の人でしたよね。だから、お会いして話をすると、ちょっと空気を入れられた感じになるんですよ。


 ―インタビューするというよりも、自分でいろいろなことをしゃべりたいという感じがありました。

島谷
 そうそう。もうどんどん空気を入れられて、パンパンになってしまう感じでしたね。これ(『映画界のドン岡田茂の活動屋人生』)裕介さんからいただいて、また読み直しました。面白いですよね、これ。


 ―たぶん裕介さんはまだ読んでいらっしゃらないでしょう。

岡田
 あんまり読まないですね。

島谷 名誉会長と鈴木さんの気が合っているというか、読んでいるとものすごい生き生きしたインタビューですよね。

岡田 親父のことは一番よく知ってたんじゃないかな、鈴木さんが。そういう意味では、お互いに朋友のような感じで。

島谷 岡田名誉会長も、ものすごい素直にいろんなことをしゃべっていらっしゃるし。

岡田 すごいね、勉強して来てるね。まずいね(笑)。

島谷 今日はこの話に終始しようと(笑)。ちょうど1980年ぐらいのインタビューがあるんですよ。それを読んでると、ちょうど今しゃべるようなことをしゃべっておられますよ。お客さんが変わっていったとか、変わり目だとか。30年前でしょう。


 ―迫本さんはこのお二人に比べると映画界に入ったのは後年になるのですけど、私どもの最初のインタビューというのはたぶん鈴木がやったと思いますが、どんな印象でしたか。

迫本P-5.jpg迫本(写真右)
 鈴木さんには一番お世話になったというか、僕はほかの業界から入って来たので、ものすごくいろんなことを教わりました。松竹に入った当時(1998年)は、大船の撮影所の問題や、ブロックブッキングの問題、さらに松竹富士の解散で松竹本体が洋画をやるという問題もありました。また、グループ会社にも相当いろんな問題があって、その辺の整理をしなきゃいけなかったですね。鈴木さんは役員より社内のことを知っているみたいなところがあって(笑)、それでなおかつ理論家でしょう。僕なんか知らないから、いろいろ教えてもらって。けっこう何度も食事にも行きましたし、ゴルフにも行きました。普段もしょっちゅう来られていろんなミーティングもしました。本当に見識ある方で、大体松竹も鈴木さんに言われていた方向で結果的に進んで来たので、あの時にいろいろ教えていただいたことが、印象深く残っていますね。


 ―あまり言いたくないことまでしゃべらされるというような。

迫本
 そうですね、そういうのもありましたけれども、「このままじゃ松竹大変だぞ」みたいなニュアンスの話が多かったですね。


 ―それは島谷さんも同じかもしれませんね。

島谷
 いや、僕は社長とか要職についてからじゃなく、一兵卒でしたから。でも、すごく愛情豊かな方だったし、それとたぶん距離感もちゃんとしていらっしゃったんじゃないですか。迫本社長と話す時も、踏み込んで来るんだろうけど、ある距離感はちゃんと…。

迫本 距離感を大切にされているという感じじゃなかったけど(笑)。けっこう、かなり踏み込んで来られましたね(笑)。

全員 ハハハハハハ。


 ―最後の方は、わりといやがっていらっしゃいませんでしたか。

迫本
 僕がですか。僕はそんなことないですよ。いやがるという意味では、最初からいやがってますよ(笑)。でも、すごい勉強になりましたよ、本当に。 (つづく)


※座談会全文(前編)は、月刊誌「文化通信ジャーナル」2012年9月号に掲載。


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