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トップインタビュー:鈴木英夫 ブエナビスタ インターナショナル ジャパン日本代表

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トップインタビュー:鈴木英夫 ブエナビスタ インターナショナル ジャパン日本代表

2006年12月27日

ブエナビスタイズム

 ―鈴木さんが、故・中島勇さん、佐野さんから継承したもの、そして新たに打ち出そうとしているものはなんですか。

鈴木 仮に10階建てのビルを建てるとするならば、この14年でやっと1階が建ったくらいかなという感じです。基礎工事をするのに、映画営業40年以上のキャリアを持っていた中島さん抜きではビルは建ち上がらなかっただろうし、基礎なので、10階建てのビルが完成した時でも、中島さんのイズム、作ってくれたものというのは、ずっと継承していくんですよ。そして、佐野さんが代表になって合流し、そこではどんなビルを建てようかと、凄く試行錯誤しながら設計図を引いていた時期でしたよね。それを一緒にやってきたし、「アルマゲドン」(98年)以降くらいに、やっとその設計図が出来上がってきて、どこに入口を置いて、会議室を置いてとかが決まって、そこにアメリカからのサポートも上手く受けながら、やっと一階が出来てきました。
 新しいことを打ち出すというのは、毛頭私自身はありません。ただ、10階建てのビルが出来上がるまでの間に、外国映画の輸入配給会社ですけど、例えば今後の市場の動向を見ながら、ひょっとしたら、日本映画が海外へ出て行くためのお手伝いが出来るような会社になるかもしれません。でも、今のところはブエナビスタという会社の1階部分がやっと出来て、これから2階部分を造ろうというところ。2階部分がドラスティックに変わったりすることはありません。10階建てのビル各階がバラバラになったらおかしいですよね。会社の外観は変わりません。中島さんと佐野さんが築いてきたものをなくしてしまうんだったら、新しいこともやれますが、僕らはその基礎の上にビルを建てようとしているので、それは継承以外のなにものでもありません。

 ―その継承されたブエナビスタイズムとはどういうものでしょうか。

鈴木 “信頼”ですかね。この信頼という言葉に端を発して、いくつか取引先と事件が起きた時期もありましたが、それを払拭し、新たな関係を築いていくということで、チャレンジをしてきて日の目を見た作品も沢山あります。社内の方に目を向ければ、いろんな人が自分たちの仕事に塀を持たなかったことで、信頼関係を作ってきたという部分もあります。それはさっき言ったディズニーの〝信頼〟とはまた違う〝信頼〟です。映画の配給会社としての信頼を作ってきました。ただ、我々にはディズニーというブランドの強みがあり、それは当然のことながら会社が、自由競争のなかで生き残っていくのにいい武器にはなったと思います。BVIJの〝信頼〟ですね。

マニュアルが通用しない国

 ―今年ディズニーが発表した世界的な組織の再構築は、いったい何が狙いなのでしょう。また、BVIJに対してはどういったことを要求してきているのでしょうか。

鈴木 1923年にウォルト・E・ディズニーさんが設立した小さなプロダクションが始まりだったんですよね。それから彼の長年の夢であった、テーマパークを作ったりして、そこを基盤に多角経営をしていきました。しかし、21世紀の、いわゆるネット時代といっていいかどうかわかりませんが、非常にスピードが求められ、新しい技術に対する安心感というものにお金が動くような市場になっている時代に、なかなかディズニーという会社がマッチしなくなったんです。
 20世紀の後半、ディズニー本体の株価も高かったし、エンタテインメントというところに軸足を置きながら、メディアを買収したり、コンテンツの開発にしても、アニメに関しては他の追随を許さないくらいの歴史を持った会社でしたが、21世紀に入り、本当に株主に対して、魅力ある会社の中身かどうかというと、実際にちょっと出遅れ感というのがあったんだと思うんです。それで経営陣の中に、アップルCEOのスティーブ・ジョブズ氏を迎え入れるようになって、21世紀にもちゃんとお客さんに信頼を残せる会社、サービスを提供し続けられる会社にするために、もっとドラスティック(思い切る)になろうということです。
 そのドラスティックとはどういうことかというと、もし贅肉があるのであれば、そこは徹底的に削ぎ落としていこうということ。でも、その贅肉はイコール人ではありません。人はとても大事だし、会社を運営していくのに、人あっての会社だと思っているので、単純に人を減らすということではなく、もっとディズニーの強み、21世紀のテクノロジーを、しかも投資の対象として、好意的に見てもらえるテクノロジーを身につけた会社になろうということです。それでもっとディズニーというものに特化していこうと。このディズニーというブランドの強み、信頼に関して言うと、世界的レベルであるわけですよね。アメリカで興収シェアがずっと1位だった時もありましたが、そういう数字争いをするんじゃなくて、ディズニーというものが持っている強みに、改めてシンプルに集中していこうよとういう意思決定がありました。私自身はそれには大賛成で、であればコストカットできる部分はカットしていこうと。業務的にダブる仕事があるのであれば、それはなるべくコンパクトにしていこうということです。

 ―12月1日より関西支社の営業業務を東京本社に集約統合するのはその一環なわけですよね。

鈴木 今回こういう形で新しい組織の運営体制を決めたことに関しては、あまりネガティブな気分にはなっていませんが、やはり関西支社を東京に統合することによって、日々のコミュニケーションが、関西の興行者さん、マスコミの方々となくなってしまうということであると、これは会社、私の理念と大幅に外れるわけですよ。中島さんと佐野さんが作ってきてくれた理念とも。これはやはり避けなければいけない。場所は動くけども、魂は向こうに置いて来るつもりですし、関西で何かあればすぐに飛んでいくようなことで対応していきたいと思っています。

 ―日本は当初、世界的な再編の影響は受けないと言われていたのではないのですか。

鈴木 北米を除けば世界第一位のマーケットで、やはり当然のことながら日本で稼がないと、多額の経費を回収できないわけですよ。ただ、日本ほどいろんな意味で、お客さんの気持ちの変化とか、動向の変化が激しいマーケットもなかなかなくて、マニュアルが通用しない国なんですね。日本のお客さんは非常に飽きっぽいし、ブームにも流されやすい。その一方で涙もろいとか、隣人や言葉を大事にするという世界に誇れる国民性があって、唯一ハリウッドのつくったマニュアルでは通用しない、いわゆる手のかかるマーケットだということ。ただ手を掛けることによって、非常に想像を超える成功も手にすることができるマーケットでもあることも事実なんですね。ですから、手がかかるので人がいることも事実。最終的には日本はあまりスタジオが決めた方針からは外れようということだったのですが、世界のバランスを考えていくと、日本だけというわけにはいかない部分もあったんです。でも、本当に世界で実施されている組織の再構築の平均からいくと物凄く下回った数字ですよ。

 ― 一方で、佐野さんのソニー・ピクチャーズ エンタテインメントは、西日本の営業強化を打ち出しました。

鈴木 それはいろんな会社がいろんな方針で運営しているので、一概にどれが正しいとか、結果が楽しみだねということでは全然ないんじゃないかなと思います。うちは先ほど言ったとおり、ディズニーというところにもっと集中した作品が多くなっていくので、必然的に本数が少なくなっていくんですよ。ソニーさんは本数も多く、基本的には、ソニー本体の営業拠点というものが全国にあり、ある意味DVD/ビデオを売るんだということに比重を置いて映画を公開しなければいけない場合もうちに比べれば多いと思うのです。うちは一つ一つ丁寧に興行者さんに届けるんだという企業理念の基に、本数を減らし、東京に一極集中化させ、社内に時差のないようにして、東京から全国へ散らばっていけばいいと思っています。詭弁みたいに聞こえるかもしれませんが、それは信頼あってのことです。東京行っちゃったから、なかなか連絡こなくなったということになってしまうと、興行者さんに信頼されなくなってしまいますから、足繁く大阪に通ったり、九州に通ったり、四国へ通ったりと営業マンがしないと、会社の理念である信頼はあっという間になくなってしまいます。その点に関しては内山(理・前関西支社長/現営業部・エグゼクティブディレクター)をはじめ、岡崎営業本部長にも、今まで以上に興行者の方々と頻繁にコミュニケーションを取ってくれと言っています。ソニーさんもうちもポジティブな方向でしか考えていないのが事実ではないでしょうか。

宣伝では誰にも負けない

 ―現時点で、BVIJの問題点、改善点があるとすればどこでしょうか。

鈴木 改善するところはいっぱいあると思うんですよ。ただ、ブエナビスタの改善点という次元で考えていると、やはりダメだと思うんです。業界全体で考え、それこそ年間興収2000億円が3000億円にならないと。そうなった上でブエナビスタはどうなんだということならよくわかります。いろんな方にいろんなお力添えを頂いて、日々の改善点を教えて頂ければどんどん改善していくつもりですし、自分でもこういうところを改善した方がいいなというのはあります。でも一方で、うちのスタッフの、身を削ってまで映画を誠意を持っておくり出していくという働く姿勢に対しては、本当に頭が下がる思いですし、結果もそれに伴っています。うちに改善点があるとすれば、それは粛々と受け止めて、改善していきたいと思っていますが、それよりもまずうちがどうこうというよりは、お客さんがどうなのかとか、映画業界全体としてどうしていったらいいんだろうとか、そっちをまずみんなで、いろんな意味で、やっていかないと映画人口は増えないですよね。

(全文は月刊誌「文化通信ジャーナル」2006年12月号に掲載)

鈴木 英夫 (すずき・ひでお)
1962年11月4日生まれ。東海大学文学部広報学科卒。85年東宝東和㈱入社(営業部/宣伝部勤務)。96年ブエナビスタ インターナショナル ジャパン入社(宣伝部勤務)。00年エグゼクティブ・ディレクター/宣伝本部長就任。05年11月より日本代表に就任、現在に至る。東和、BVIJで数々のヒット作の宣伝を手掛けてきた。

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