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トップインタビュー:原正人 アスミック・エースエンタテインメント(株)相談役

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トップインタビュー:原正人 アスミック・エースエンタテインメント(株)相談役

2008年04月01日
今こそ逆境をチャンスに変えるべき時
 次世代伝えたい“プロデューサー魂”
 もう一度原点に、逆境を越えて欲しい

 
 「戦場のメリークリスマス」(83年)、「乱」(85年)、「雨あがる」(00年)など数々の話題作を手掛けてきた原正人プロデューサーの最新作「明日への遺言」が、3月1日(土)より全国公開。約5年ぶりのプロデュース作となった本作は、第二次世界大戦後、実在した岡田資中将の誇り高き生涯を描いた感動作だ。
 映画プロデュースから引退宣言をしていた原氏は、なぜ本作でカムバックを決意したのか。現在76歳。奇しくも黒澤明監督が「乱」を撮った時とほぼ同じ歳で本作のプロデュースに踏み切った。これからの人生を若い才能の発掘・育成に捧げていた原氏の“プロデューサー魂”を再び奮い立たせたものは一体なんだったのか。
 本作は、人間としての美徳を失いつつある日本人への原氏の“遺言”であり、日本映画界への“遺言”と言っても過言ではない。製作の経緯や日本映画界の現状、そして今後の活動などについて、生きながらにして伝説となっている原プロデューサーに聞いた―。





■「作るなら今」という“勘”

――プロデューサーとして“引退宣言”をしていた原さんが、なぜこの作品をプロデュースしようと決意されたのですか。

原 有ろう性膿胸という病気が見つかって手術したのが2000年。69歳のその時に死んでもおかしくない状態だったですよ。01年に退院した時は、生き返ってもう一回残りの人生を生きようという感じでね。21世紀までよく生きたなあというのが正直な気分でした。それで椎名(保・アスミック・エース エンタテインメント会長/角川エンタテインメント社長)さんに、当時社長を譲って会長になり、今は取締役も降りて相談役になったんですね。
 02年の「突入せよ!『あさま山荘』事件」をプロデュースしたのですが、あれは僕としては手伝いみたいなイメージで、これで終わりという感じでした。プロデューサーはやはり自分の思った通りにやらなければいけない。気力、迫力、現場に顔を出す、そういう諸々のことをやらないと、なかなか助っ人では難しいと思いました。その後、03年に「スパイ・ゾルゲ」を親友の篠田正浩監督だからお手伝いしたのですが、もうこれで現場をやることはないだろうなと、それが宣言までの経緯ですよね。
 それから何年か経って、僕としては、00年の「雨あがる」で僕と組んだ荒木美也子さんという女性プロデューサーが小泉さんとタッグを組み、アスミックAの作品として製作した「博士の愛した数式」(06年)が立派な成績を上げてくれて、本当に嬉しかったんです。あれは100万人動員して興収12億円をあげた。それで小泉さんには、僕自身は直接やらないにしても、どんどん作りなさいみたいな話をしたのは間違いないのですが…。
 そうしたら持ってきたのが「明日への遺言」だった。このシナリオは昔見ていて、黒澤(明)さんがお元気な頃に、小泉さんは盛んにシナリオを書いていましてね。シナリオを3、4本読ませてもらっていた。新人監督にしてはお金がかかるし、渋く、個性はあるけどなかなか難しいねと、その中の一本が大岡昇平さんの「ながい旅」でした。でも、その頃から骨格は一緒でしたね。裁判劇で、ワンセットドラマに近く、刑務所内とドキュメンタリー映像を散りばめてね。今のシナリオの原型はありましたよ。その後、だいぶ彼は書き直して、磨き上げていったとは思いますけど。難しいねと言っている間に黒澤さんがお亡くなりになって、「雨あがる」が誕生するんですけどね。04年の「阿弥陀堂だより」もそうなんだけど、小泉さんのシナリオは一見地味なんですよ。でも、出来あがると〝映画的な豊饒さ〟がある。シナリオの段階だけではなかなかわからない。「博士」だって難しい素材ですよ。でも、それと同じようにこの「明日への遺言」も今の小泉さんなら出来るだろうなと思いました。それでアスミックAの中でもみんな小泉ファンですから、なんとかうちで出来ないかと一生懸命検討したのです。でもやっぱり難しいという結論に近い答えだった。製作費もしっかりかかるし、この素材、今頃戦争が素材の“戦犯”というのでは、お客さんを呼ぶのは難しいのではないかというのが普通の常識ですよね。
 そうしたら、小泉さんから「なんで原さんやってくれないんですか!」と。でも僕は病気だし、現場に顔を出せないと躊躇していたら、「歳だと言ったって黒澤さんが『乱』を撮った時と同じ歳じゃないですか」と言われたんです。74歳~75歳にかけて黒澤さんは「乱」を作った。これは奇遇なんですけど、それでも自分がやるとは正直思っていなかったんですよ。

――アスミックAでやることになった経緯は。

原 はじめは「あさま山荘」方式で作るのはどうかと東映さんにお願いに行きました。アスミックAは共同参加という形ならばみんなも納得するし、一部出資し参加することで、小泉作品レーベルをアスミックAの中にと豊島(雅郎)社長が考えたんです。東映さんも相談に乗ってくれたのですが、やはり東映の本番線にかけるとすれば、このままでは地味なのではないかということで、もうちょっと脚本直しや作り方も含めて考えられるんじゃないかと結局引き取ることにした。そうしたら豊島社長が「うちでやりましょうか」と言い出したんです。「博士」の時のチェーンにお願いしてみるのはどうかと。それでうちでやるとなると、どうしても僕が中心になるしかなくて、小泉組となれば覚悟を決めなくてはならない。小泉さんも「歳は関係ないですよ」とね。
 僕はラッキーにも21世紀に生き残っているわけだし、中身は今流行りの「国家の品格」(藤原正彦著)じゃないけど、いま作っておいた方がいいかなと思いました。時代の風、時代の気分で、この映画を受け入れる時代になっているんじゃないかなというね。でも体力の状態を考えて、本当にやれるのか、やっていいのか考え抜きましたよ。
 最後はプロデューサーとしての「作るなら今」という“勘”ですよね。もしかしたら受けるかもしれない、世の中おかしくなっているから、同じように感じている人はいるだろうと。それにみんな面白い映画を求めていることは間違いないですよ。映画は面白くなければいけない。でも、面白いんだけどもコツンと心に響くもの。かつて映画は人の生き方にまで影響を与えるくらいの力を持った作品があったじゃないですか。もちろん同時に、面白いだけのものもあると思いますが、僕らも人生を考えたりしながら育ってきましたから、映画はそういう力を持っているわけで、この作品もそういうことになるだろうと思ったのです。それと小泉さんは上手いから、プロデューサーがシナリオで判断出来ないような画を作り、面白い映画を見せてくれればなと。純粋な小泉ファンとして、また新しい手で僕を楽しませてくれるんじゃないかなという風に、観客も思ってくれるのではないか。そんなに大きくはないけども、そういう作り方がきっと出来る筈だという小泉さんへの期待と信頼という感情がありました。















小泉堯史監督作品「明日への遺言」
出 演:藤田まこと、ロバート・レッサー、フレッド・マックィーン、リチャード・ニール、富司純子、西村雅彦、蒼井優、田中好子/ナレーション:竹野内豊
原 作:大岡昇平「ながい旅」(角川文庫刊)/脚本:小泉堯史、ロジャー・パルパース
音 楽:加古隆(サウンドトラック:エイベックス・クラシックス)/
主題歌:「ねがい」森山良子(ドリーミュージック・)/プロデュース:原正人
製 作:アスミック・エース エンタテインメント、住友商事、産経新聞社、WOWOW、テレビ東京、ティーワイリミテッド、シネマ・インヴェストメント、CBC、エース・プロダクション
3月1日(土)より渋谷東急ほか全国松竹・東急系にてロードショー

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