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元大映専務・武田敦さんの死!

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元大映専務・武田敦さんの死!

2011年10月21日
 去る7月12日に肝炎のため死去した元大映専務取締役・武田敦さん(84歳)の「お別れ会」が10月18日、東京・千代田区のアルカディア市ヶ谷で行われた。

 当日は、映画監督の片桐直樹さん、佐藤純彌さんが追悼の辞を語り、武田さんが手掛けた作品を通して親交のあった日色ともゑさん(「ドレイ工場」主演)、地井武男さん(「沖縄」主演)、滝沢克己さん(早稲田大学学友)、入江雄三さん(元電通専務)らがお別れの言葉をそれぞれ述べ、宮古とく子さん(プロデューサー)、小山内美恵子さん(脚本家)、原正人さん(プロデューサー)、三田佳子さん(女優)、鈴木瑞穂さん(俳優)らのメッセージが読み上げられた。いずれも信条にもとづく映画人としての誠実な生き方を賞賛する挨拶であった。

 武田さんは1927年1月中国・大連で生まれた。51年早大政経学部を卒業後、山本薩夫、今井正監督らが設立した製作プロダクション「新星映画社」に入社し、映画人としての人生をスタート。「箱根風雲録」「真空地帯」の助監督を経て、55年教育映画「発明ハッちゃん新案シンちゃん」を初監督。その後、記録映画「真実のあかしのために」(’60)、劇映画「ドレイ工場」(’68)、記録映画「沖縄」(’69)の4本の映画を監督。74年には、大映再建のため社長に就任した徳間康快氏に要請され大映の専務取締役に就き、以後プロデューサーとして“徳間大映”第1作の「わが青春のとき」(’75)から「金環蝕」(’75)、「ダイナマイトどんどん」(’78)、「ガラスのうさぎ 東京大空襲」(’79)、初の日中合作「未完の対局」(’82)、歴史大作「敦煌」(’88)を手掛けた。そしてロシアでロケした「おろしや国酔夢譚」(’92)の製作途中に肝炎を患い、大映を辞任。以後20年間にわたって入退院を繰り返し闘病生活を送った。以上のように、武田さんは「敦煌」など大映時代のプロデューサーとして広く一般に知られているが、その前半生、山本薩夫監督との出会いにより、脚本家としての才能を発揮した。「雪崩」(監督山本薩夫/’56)で山形雄策氏、「博徒さむらい」(監督森一生/’64)で高岩肇氏、「にっぽん泥棒物語」(監督山本薩夫/’ 65)で高岩肇氏、「戦争と人間 第2部 愛と哀しみの山河」(監督山本薩夫/’71)「同 完結篇」(監督山本薩夫/’73)で山田信夫氏と共同脚本を手掛けたことである。

 監督、脚本家、製作者として映画史に残る名作を贈り出した偉大な映画人の死である。

(代表取締役社長:指田 洋)

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