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2010年11月18日

ユニジャパン主催
東京藝大OBの真利子氏、五十嵐氏が語る/
(4)「映画をつくる:キャンパスから劇場へ」
    

 経済産業省、公益財団法人ユニジャパン主催「ユニジャパンエンタテインメントフォーラム」の1プログラム『映画をつくる:キャンパスから劇場へ』が10月26日、東京・六本木の政策研究大学院大学で行われ、映画監督の真利子哲也氏、映画プロデューサーの五十嵐真志氏が登場した。(下写真は、左が真利子監督、右が五十嵐P)


「東京藝大」(1).jpg


 真利子氏、五十嵐氏はどちらも東京藝術大学 大学院 映像研究科 映画専攻(2年制)のOBで、2007年4月入学の第3期生。2009年3月に修士課程を修了した。映画専攻は、監督・脚本・製作・撮影照明・美術・録音・編集の7領域に分かれ、真利子氏は監督領域、五十嵐氏は製作領域に籍を置いた。入学試験の様子や、入学から卒業までのカリキュラムの実際、作品制作の過程、映画制作への思いなどが、1時間半にわたり語られた。

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■入学、初のプロの現場へ

 入試は、領域別で行われる。製作領域の五十嵐氏は入試にあたり、自身の作りたい映画の企画を提出。最終のグループディスカッションで5人が、6時間にわたりシナリオをめぐって議論をし、その中で3人が合格した。五十嵐氏が製作領域を選んだのは、映画制作において、プロデューサーの役割が自分に一番合っていると判断したため。電通に入社して以来、映像制作に関わることを希望していたが、広告のクリエイターと企業とをつなぐ役割を何年も続ける中で、自分のクリエイティブの才能の限界も感じた。そこで、自分の役割は、クリエイターが作りやすい環境を作ること、つまりプロデューサーだと判断し、製作領域を志望した。


 一方、監督領域の真利子氏は、自身が制作した作品を提出して入試に臨んだ。真利子氏は、入学以前から積極的に自主映画を制作し、映画祭への出品も行っていた。もっと広い視点で映画を作れる環境を求めて、藝大入学を希望した。


 入学後すぐ、教授を務める黒沢清監督がメガホンをとる短編制作のアシストについた。五十嵐氏はロケ候補地を写真に撮って黒沢監督に何度も見せた。気に入った写真があれば、監督と一緒にロケハンに訪れた。資金が限られる中、個人のつてを頼りに、いくつもの芸能事務所を回った。その過程で、学生映画であっても、快く俳優を出してくれる事務所があることを知った。


 五十嵐氏は「黒沢監督は妥協が一切なく、入学1ヶ月でプロの洗礼を受けた」という。黒沢監督に助監督としてついた真利子氏は「初めからプロの現場を体験できたことは幸せ」と興奮ぎみに振り返った。


■1年次、夏の短編制作


 「映画制作を志す」という共通の目標はあるものの、同期生の気持ちの持ち方は様々。1年次(2007年)の夏の実習は、学生だけで、16ミリ、30分の短編映画を制作すること。5チームに分かれ、5作品を作る。この制作において、各人の意識が異なる集団をまとめあげ、作品を作り上げることの難しさ、大切さを学んだ。


 真利子氏は「藝大を利用するくらいの気持ち」で、映画監督としての能力を高めようと藝大に入学していたが、大学院の軽いノリで入学した人もいたように感じた。五十嵐氏は「学生の現場は、時間、資金など制約が多い。気持の問題が大切」と強調する。実際、撮影の時間に遅れたり、限られた資金に簡単に手を付ける判断をする人もいた。各人の意識が異なるため、仕事にもムラが出てしまった。


 そんな中、教員陣から言われたのが「色々な人と仕事をすることを学べ」ということ。学生の中には、本当は監督志望なのに、まずは入学が先と、他の領域を受験してしまうような人もいる。バラバラの意識を束ねて、共同で作り上げる。イライラしても、まとめあげる。そんなことを学んだのだった。

 
■オムニバス映画「ラッシュライフ」


 1年次(2007年)の秋、オムニバス映画制作の実習がスタートした。ここで制作された作品が、2009年6月に劇場公開された「ラッシュライフ」。実習の目的は、外部の企業から出資金を集めて、商業的な映画を作ること。シナリオ開発やロケハン、資金調達、キャスティング、さらに劇場へのブッキング、宣伝といった配給業務。映画の制作から劇場公開までの全工程を、学生が担うこととなった。


 まず、学内で企画コンペを実施した。製作領域の学生が提出する企画の中から、2ヶ月かけて学生と教授陣が議論し、五十嵐氏による伊坂幸太郎原作「ラッシュライフ」の映画化企画が選ばれた。


「東京藝大」(3).jpg 五十嵐氏は、芸術とエンタテインメントの融合を目指し、「ラッシュライフ」の企画を提出した。藝大の作る映画は、一般的に、アート寄りと見られる。五十嵐氏は、過去の卒業制作作品を見て、実際にそうした印象を抱いた。でも、お客さんがお金を払って見るだろうか、アート寄りではないものは作れないかという思いがあった。「ラッシュライフ」映画化のテーマは、藝大にいながら、エンタテインメント寄りの作品を作ることだ。


 五十嵐氏は、出版元の新潮社を通じて、伊坂氏に“ラブレター”を出し、やがて、仙台のホテルで伊坂氏と会う。五十嵐氏は伊坂氏に、藝大の授業の一環として作ること、原作の内容を多少変更する可能性があることなどを説明した。もともと映画好きである伊坂氏は、自分の作品が取り上げられることを喜び、「映像と原作は別物。期待している」と藝大の学生に原作の映画化権を快く預けてくれた。五十嵐氏は「ただ純粋に映画を作りたいんだ、という気持ちが伝えたのが良かった。ビジネスの話をしたら、きっと断られていただろう」と振り返る。


 さて、原作は抑えたものの、予想どおり、資金調達が難航した。伊坂幸太郎原作とはいえ、学生が作る映画は、海のものとも山のものともつかない。どんな仕上がりになるのか、どれだけの収益が見込めるのか、出資する側にとっても、全く見通しがつかない。


 一方で、撮影スケジュールはカリキュラムに完全に組み込まれており、2年次(2008年)の6月1日から6月30日の30日間で撮影することが、入学当初から決まっている。撮影機材は2学年が共用で使うので、この定められた期間に絶対に撮影を終わらせなければならない。企画決定から2~3ヶ月かけてシナリオ開発を実施。それと並行して、キャスティング、製作出資オファーなどを行ったものの、実習開始から半年が過ぎた時点で、出資者は1社も決まっていなかった。


 そして、ようやくシナリオの第1稿があがり、それを読んで気に入った寺島しのぶが出演を決めた。寺島出演決定を材料にすることで、企業への出資交渉に光明が差してきた。その後、寺島と同じように、出演料は関係なく、シナリオを読んで純粋に企画に賛同してくれる俳優が続々と決まり始めた。結果、堺雅人、寺島しのぶ、柄本佑、板尾創路の4人を軸に、10数名のプロの俳優が参加することになった。


 資金調達をめぐり“飛び込み営業”を基本に、数十社にあたり、最終的には4社が決まった。衛星劇場には放映権、アミューズソフトエンタテインメントにはパッケージ化権、IMAGICAには現像を担当してもらい、電通キャスティングアンドエンタテインメントにはキャスティングを手伝ってもらう。4社それぞれに権利・役割を与えて、出資金を集めた。製作委員会は、この4社に東京藝大を加えた5社で組織した。撮影は当初の予定どおり、2008年6月1日からの30日間。ポスプロに2ヶ月をかけて、2008年8月31日に初号が完成した。


 配給をめぐっては、複数の配給会社に当たったが、なかなか決まらず、自社配給を決断した。劇場へのブッキングは、完成した作品を興行会社の担当者に実際に見てもらうことで進めた。最終的には、東京都内は新宿バルト9、1館での公開が決まった。劇場との交渉ごとや宣材作りも学生が行ったものの、宣伝のノウハウは勿論なく、苦労の連続だったが、フリーのパブリシストに宣伝を手伝ってもらい、公開までにある程度の認知を得ることができた。


 そして、第3期生がすでに卒業(2009年3月)した後の2009年6月13日に、「ラッシュライフ」は劇場公開された。原作のネームバリューが高かったこと、主演の堺雅人がNHK大河ドラマ「篤姫」や映画「クライマーズ・ハイ」などで人気が急上昇していたことなどが、興行の後押しとなった。出資企業には、出資分を全額返還することができた。


 このオムニバス制作は、毎年実施されている。1期生は「[新訳]今昔物語」、2期生は「夕映え少女」、4期生は「月の砂漠」、5期生は「紙風船」を制作している。


■卒業制作の1本「イエローキッド」


「東京藝大」(2).jpg 卒業制作(修了制作)は、数ある実習の中で、初めて監督をメインにしたもの。前回のオムニバス制作とは異なり、外部からの出資は一切入れずに、完全なる自主制作のスタイルをとる。監督領域の学生の意向を最大限に反映させた映画制作であり、予算の中で、どの部分に一番力を入れるのか、監督が決定する。長編か短編かは自由だが、第3期卒業制作の5作品は、いずれも長編作品。5作品のうちの1本が、2010年1月30日に渋谷のユーロスペースで劇場公開され、大きな話題を呼んだ「イエローキッド」だった。真利子氏が監督・脚本を務めた作品だ。


 毎年6月にユーロスペースで、その年の3月に卒業した学生の卒業制作を特集上映する企画が行われ、多くの観客を集めている。2009年6月の第3期生の作品を対象にした上映で、「イエローキッド」がコミュニティシネマセンターのシネマ・シンジケート担当者の目にとまり、シネマ・シンジケートの新人監督発掘プロジェクト「New Director/New Cinema」の候補に挙がった。最終的に同プロジェクトの第1弾作品に選ばれ、単独での劇場公開への道が開かれた。配給はユーロスペースが手掛けたが、実務の多くは藝大が担った。一方の五十嵐氏は、卒業制作において、遠山智子監督の「よるのくちぶえ」の制作に関わった。


■藝大の特徴


 真利子氏、五十嵐氏は、東京藝術大学 大学院 映像研究科 映画専攻の特徴にも言及した。映画専攻は、基本的には放任主義。自由に何でもやることはできるが、逆に教授陣が教えてくれることはあまりなく、自主性が求められる。第3期の時点では、1期生、2期生がそれぞれの2年間で蓄積したノウハウは引き継がれておらず、特別に記録も残されないという。そのため、自ずと学年ごとにカラーが生まれてくる。2年間で、教室で講義を受けたのは半年ほど。残りの1年半は現場にいたという。


 映画制作の環境としては、恵まれている。カリキュラムにのっとって資金が確保され、撮影機材も用意され、好きなように撮ることができる。ただ、学生映画ということで、監督の立場が必ずしも一番ではなく、ものを作る組織としての秩序があまりないという側面もある。


 卒業後の進路は、簡単なものではない。第3期生の行き先は様々で、広告代理店、映画会社、制作会社、フリーなど、それぞれの立場で、映像を作る環境に踏みとどまっている人は多い。監督領域の卒業生も、実際の映画制作の現場では、サードかフォースの助監督の立場からスタートしている。真利子氏は、卒業後に「春との旅」や「猿ロック」のメイキングの演出を手掛けるなどしている。


■商業映画と自主映画、アマチュアとプロ


 参加者から“商業映画と自主映画の違いとは何か”という質問が出た。五十嵐氏は「商業映画は、お客さんからお金をいただいて、その期待に応えられるような作品。でも、テレビ局主導の映画ではない。撮りたいものだけを撮るのではなく、見る人のことを考えて撮ることだろうか」と、自問するかのように語った。真利子氏は「正直なところ、よく分からない」と前置きしたうえで、「これからも、商業映画と自主映画をあまり分けずにやっていきたい」と述べた。


 また、“アマチュアとプロ意識”について、真利子氏は「プロ意識というのも正直なところ分からない。(入学前からこれまでも)作りたいから作ってきただけだけど、意識が多少変わってきているのかもしれない」と、本能的に映画制作に取り組んでいる様子。五十嵐氏は「プロの仕事では、必ずしも自分のやりたい企画ができるわけではない。会社や周りの人たちの思惑もある。プロならば、やると決めたら、全力でやる。黒沢清監督も『イヤなことをやれ!』と言っている」と、プロ意識を垣間見せた。


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